スバル・アルシオーネ
スバル・アルシオーネ
アルシオーネ (ALCYONE) は、富士重工業(現・SUBARU)が過去に製造していた2ドアクーペタイプの小型、および普通乗用車である。
本項目では、2代目の日本国外モデルのSubaru SVXについても記述する。
キャッチコピーは『4WDアヴァンギャルド』、『オトナアヴァンギャルド』。
スバルの創業から現在に至るまでリトラクタブルヘッドライトが搭載された唯一の車種である。
1985年6月8日、「アルシオーネ」シリーズ発売。日本国内発売に先立つ1985年1月に、すでにとして「デトロイト・ショー」で初披露され、富士重工業としては初の海外先行発売車種となった。
「デトロイト・ショー」デビューに際して、各国のモータージャーナリストを招いた大々的な試乗会や、ハリウッド映画へ登場させるなど、「XTクーペ」へのアメリカ市場における富士重工業の期待の大きさを窺わせた。入念な事前プロモーションの結果、アメリカ市場では、発売直後こそ非常に好調な販売で推移したが、1985年9月の「プラザ合意」以降の急激な円高のために商品力が低下。急遽、既存のEA型水平対向4気筒エンジンに2気筒を追加して、6気筒、排気量2.7Lの「XT6」(日本名:アルシオーネ2.7VX)が企画され、1987年、販売に移された(アメリカ発売は1988年度から)。
日本で市場では極端なくさび形のエクステリアが奇抜過ぎと捉えられ、さらにエンジン(水平対向6気筒エンジン搭載車を除く)、足回りが3代目レオーネとほぼ同じでフラッグシップのイメージが薄く、そして価格も高めだったことから、他社の大型スポーツクーペに歯が立たず、発表当初から深刻な売り上げ不振だった。
欧州市場と豪州市場では「VORTEX(ボルテックス)」の名で販売された。
しかし、「廉価でスタイリッシュなクーペ」から「先進的な高級パーソナル・クーペ」への突然の趣旨変えが受け入れられたとは言い難く、期待されたアメリカ市場での販売を回復することはできなかったため、コンポーネントから専用設計とした「SVX」に再起を賭けることになった。
メカニズムでは従来の油圧多板クラッチに専用コントロール・ユニットによるパルス制御を取り入れることにより、前後駆動トルク配分を自動制御する「ACT-4」、オートマチックトランスミッションの4速化、電動モーター・アシストによる車速感応式パワーステアリング「CYBRID」、ABSのライン装着など、非常に意欲的なアクティブ・セイフティに対する姿勢は、現在でも一部に高い評価がある。
1985年6月の発売時には、VRターボ(4WD)、VSターボ(FF)の2グレードで、VRターボのみ3速ATと5速MTの選択が可能だった。新車解説書に3代目レオーネ(オールニューレオーネ)の2ドア版との明記がある。
1986年3月にVSターボの3速ATを追加。
1987年7月に、2.7VXを追加(「E-4AT」4速ATのみの設定)。
また、VRターボはVRに、VSターボはVSに、呼称が変更され、ATが3速から4速になり、4WDのAT車のトランスファはMP-T(マルチプレート・トランスファ)からACT-4(アクティブトルクスプリット4WD)になった。
1989年2月、BC/BF型レガシィ登場に際して、2.7VXに「ブラックマイカ」を追加。ほか、レッドマイカ、ミディアムグレー、セラミックホワイトなどボディカラーを変更しBC/BF型レガシィと共用化。全車受注生産に移行。
1991年8月、生産終了。在庫対応分のみの販売となる。
1991年9月、後継車のアルシオーネSVXと入れ替わる形で販売終了。
生産台数は8万8918台
リトラクタブルヘッドライトを採用した特徴的なウェッジシェイプ(くさび形)のスタイリングで、カタログには「エアクラフトテクノロジーの血統」と日本車で初めてCD(空気抵抗係数)値=0.30の壁を突破、CD値=0.29を達成し、CD×A(空気抵抗係数×前面投影面積)=0.53、CLF(揚力係数(前))=0.10、CLR(揚力係数(後))=0(いずれもVSターボ)という空力性能の理想の徹底追求が大きく謳われており、
などが列挙されている。自動車工学では車両の空気抵抗の低減は燃費、高速安定性など自動車の性能向上に有効であることはわかっていたが、市販乗用車でアルシオーネほど空力性能を訴求した例はなく、それがどれほどの効果があったのかはともかく、今なお、斬新なボディ・スタイリングとともに、現在もアルシオーネを特徴付けているポイントである。アルシオーネ登場以降、日本の自動車メーカー各社のカタログにも空力についての記述が見られるようになり、その影響は決して小さくなかったといえるだろう。
一方、2,465mmというホイールベースは3代目レオーネ(AA型)と全く同じで、全長×全幅×全高=4,450(4,510※2.7VX)×1,690×1,335(1,295※VSターボ)mmという寸法は、1982年登場の2代目ホンダ・プレリュードの全長×全幅×全高=429,5×1,690×1,295mm (XX)にかなり近い。ただし、アメリカ仕様は、最低地上高の安全基準を満たすためにレオーネ並の車高になっている。
ボディカラーはVRターボ、VSターボともにツートンカラーとし、ホワイト、レッド、ブルー、ダークグレーのそれぞれがライトグレーとの組み合わせとなっている。
1987年7月、水平対向6気筒エンジン搭載の2.7VXの登場に伴い、アルシオーネ・シリーズはマイナーチェンジ。2.7VXにはパールホワイト・マイカ、ディープレッド・マイカ単色の専用色が与えられ、開口部を拡大したフォグライト埋込の大型衝撃吸収バンパー、また、フロントフードのエアインテークが省略される。4気筒シリーズについては2トーンカラーを継続。ホイールの14インチ化に伴う、新デザインのホイールキャップの採用など変更は軽微に留まり、差別化が図られた。またグレード名から「ターボ」が外れ、単に「VR」「VS」と呼ばれるようになった。
2.7VXの専用14インチアルミホイールは、AA型レオーネ の PCD 140mm 4穴 に対して、 PCD 100mm 5穴 を採用。ハブベアリングは、EA82型エンジン搭載車 が1組のボールベアリング支持に対し、2.7VX では1組のローラーベアリング支持に変更。これに伴い アウター側のオイルシールが変更された。フロントストラット の ハブ取付ブラケットもストラットASSYと一体とされ、その後のスバル水平対向エンジン搭載車が踏襲することになるサスペンション/アクスル構造を先んじて採用していた。
低めの着座位置に高いセンターコンソールといった、当時の「スペシャリティ・クーペ」の文法に適ったドライビングポジションに、センターコンソールから運転席前方に続く切り立った広い平面に、スイッチ、メーター類を散りばめた、壮観なインストルメントパネル、ガングリップ・タイプのシフトレバー、左右非対称のL字型スポークステアリング、一般的なコラムスイッチの機能をそれぞれボタンスイッチに分割して独立したパネルに配置した「コントロール・ウィング」の組み合わせは、当時の富士重工業の主張する個性が良くも悪くも形になったものである。L字型スポークステアリングは、ハンドルを切ると感覚が掴みにくいという欠点もあった。
また、テレビゲームさながらのデザインが話題になった「エレクトロニック・インストルメントパネル」と呼ばれる液晶式デジタル・メーターも用意された。
前期型は、簡単な減算・平均車速表示機能の付いたトリップコンピューター、4スピーカーロジックコントロール機能付きAM/FMチューナーカセットコンポも標準装備とされ、当時の富士重工業のフラッグシップに相応しいフル装備を誇った。
内装色には、前期型が標準車が明るいブラウン系内装、ブルー・メタリック2トーン外装色にブルー系内装にモケット+ビニールレザーの組み合わせ。
1986年、ビニールレザー張りだったリアシートを、フロントシートと同一のモケット生地に改めた。
1987年のマイナーチェンジ以降は2.7VXのみがダークブラウンに毛足の長いディンプルモケット生地の組み合わせ、4気筒エンジン搭載の標準車にグレー内装、ブルー・メタリック2トーン外装色にブルー系内装とモケット生地の組み合わせとなった。
エンジンは、レオーネ1.8LGTターボと共通の水平対向4気筒OHC「EA82ターボ」(最高出力:135PS/5,600rpm、最大トルク:20.0kgf·m/2,800rpm(いずれもグロス値))を搭載。低くスラントしたフロントノーズのために補機類配置が見直されている(スペアタイヤは、エンジンの上でなく、後部トランク内に収納されている)。
VRターボAT車には、急加速時、急制動時、雨天時に、アクセル、ブレーキ、ワイパーと連動して、自動的にAWDに切り替わる 「AUTO-4WD」 システムが搭載されていた。これは当時パーツサプライヤーの供給するABSの作動精度が現在に比べ著しく甘く、そもそも前後のドライブトレインを連結した AWD なら、加速・制動時のホイールスピンやロックを防ぐために効果的であることから考えられたシステムで、現在のAWDの高度な駆動力制御の先鞭をつけたものといえる。VRターボの5速MT車は、副変速機「デュアルレンジ」を装備しない、当時の富士重工業のAWDラインナップの中でも最もシンプルなシステムが与えられた。VSターボは、国内向け3代目レオーネにはFF+EA82型ターボの設定がなかったため、当時の富士重工業のラインナップの中でも異色の存在だった。
1987年7月のマイナーチェンジで追加された2.7VXには、既存のEA82型エンジンに2気筒を追加した、水平対向6気筒OHC「ER27」エンジンが搭載された。ボアおよびストロークは「EA82」と共通であるが、このエンジンがアルシオーネ以外に搭載されることはなく、事実上、専用設計となっている。最高出力:150PS/5,200rpm、最大トルク:21.5kgf·m/4,000rpmを発生した。
2.7VXおよびVRには、MP-Tの油圧をパルス制御することによって、前後の駆動力配分を自動的かつ連続的に変化させる 「電子制御アクティブトルクスプリット4WD(ACT-4)」 を搭載。これは2WDに比べ駆動力に優れる AWD 本来の特性に、前後の駆動力を変化させることで自動車の操縦性まで変化させることを可能にした画期的な駆動力制御で、現在の 「VTD-AWD」 につながる富士重工業のAWDシステムの中核に位置する技術である。また、2.7VX、VRのATには、それまでの3速に代わり、4速の 「E-4AT」 が与えられた。6気筒・4気筒シリーズともにトランスミッション・ギヤ比は共通である。また、このマイナーチェンジで、VRの5速MT車は、それまでのパートタイムAWDから、レオーネRX-II と同じバキューム・サーボ式デフロック機能を備えた、遊星歯車センターデフ付のフルタイムAWDに改められた。
2.7VX 専用の水平対向6気筒エンジン「ER27」は、1985年10月、第26回「東京モーターショー」に参考出品されたアルシオーネベースのコンセプトカー「ACX-II」で公開されている。「ACX-II」は走行可能なコンセプトカーで、走行シーンも公開されたが、この時点では、同時に参考出品されていた「レオーネ3ドアクーペ・フルタイム4WD」と共通のバキューム・サーボ式のデフロックを備えた傘歯車式センターデフ・マニュアルトランスミッションとの組み合わせで、ブリスターフェンダーによって3ナンバーに拡幅された全幅やショーカーらしい数々のギミックは明らかに商品化を前提にしたものではなかった。
しかし、1985年9月の「プラザ合意」以降の急激な円高は、それまで廉価を売り物にアメリカ市場でのシェアを拡大してきた日本車に、軒並みアメリカへの工場進出によるアメリカ社会との共存と付加価値の高い高級化への路線転換を迫った。
当時、レオーネとアルシオーネ、収益率の悪いジャスティしか持ち駒のなかった富士重工業にとって、主要マーケット・アメリカでの深刻な販売不振の打開策として急遽「ER27」エンジンの市場投入は決定した。しかし、商品化に2年もの時間を必要とした上、レオーネの狭いエンジンルームには搭載することは不可能で、この後、1980年代後半にかけての富士重工業の混迷振りを象徴するような商品化となったのは皮肉な話である。
シャシー・サスペンションともに、基本的にはレオーネ1.8LGTターボと共通だが、2.7VX、VRターボがE-PS(エレクトロ・ニューマティック・サスペンション)と呼ばれる、オートセルフ・レベリングつきエアサスペンションを装備するのに対し、VSターボはコイルスプリング・サスペンションとなる。E-PSはハイトコントロール(車高調整)機構付きで、標準車高の165mmとハイ車高195mmの2段階で任意の車高を選択可能で、ハイ車高で80km/hに達すると自動的にノーマル車高へ復帰、さらに50km/h以下になると自動的にハイ車高に戻る機能を備えていた。
また、2.7VXには富士重工業としては初となる、4センサー対角セレクトロー方式を採用した、当時としては非常に高度なABS制御と、AWDの前後駆動トルク配分制御「ACT-4」、さらに電動パワーステアリング「CYBRID」との統合制御を行うという、積極的なアクティブ・セイフティ(能動安全性)の一歩進んだ形を提案。このシステムは各方面から絶賛を浴び、その後の世界の自動車メーカーのアクティブ・セイフティの考え方に与えた影響は極めて大きい。
キャッチコピーは「遠くへ、美しく」、「500miles a day」。製造は富士重工業群馬製作所本工場(現: 株式会社SUBARU 群馬工場)で行われていた。
先代のアルシオーネが「プラザ合意」による急激な円高により、販売コンセプトが大きく迷走したこともあり、北米市場をターゲットに、同時期に国内外で多数新車が発売され、活況を示していたパーソナルクーペ市場をターゲットに投入された。メカニズムは先代から大きく一新されており、直接のつながりは無い。
主なマーケットを北米としていたこともあり、発表は日本に先行してデトロイトショーで行われた。国際性のあるグランツーリスモと位置づけ、開発のポイントとして、先代の高い空力性能 (Cd値=0.29)は引継ぎつつ、長距離を快適に走る事を目指した。
イタルデザインのジョルジェット・ジウジアーロによるエクステリアデザインが本車の特徴であり、当初のデザインスケッチやモックアップの段階ではリトラクタブル・ヘッドライトが備えられていたが、市販車では窓井崇史デザインによる固定式となった。グラスtoグラスのキャノピーはミッドフレームウインドーを日本で初め
て採用している。これはドアガラスがルーフ面にまで回り込む形状であることからサイドウィンドウ全体を開閉できないため、一部だけを開閉するようにしたものである。
前述のグランツーリスモというコンセプトの位置付けに倣い、トランスミッションは4速ATのみの設定となった。しかし、このトランスミッションはレオーネ用をベースとしたため最大許容トルクが小さく、不具合に至りやすいという欠点があった。後年、同メーカーのインプレッサの5速または6速MTに改装するカスタマイズを行った例もある。
意欲的なスタイリングコンセプトとメカニズムを持った同車であったが、車体価格も312万円439.4万円とハイグレードであり、日本での販売はバブル経済崩壊期と重なったこともあり、販売面では苦戦を強いられた。また発売当時は「スバル (SUBARU)」自体のブランドイメージが高級車市場でまだ周知されていなかった点も挙げられる。1997年9月に製造終了、1997年12月までに販売終了となった。
直接の後継車種はリリースされず、アルシオーネSVXの販売終了後、スバルのクーペ専用車種はBRZ発売まで存在しなかった。
すばる(プレアデス星団)に属している恒星であるおうし座η星の名前「アルキオネ」(Alcyone)にちなんでおり(スバルのマークで言えば六連星のうちの一番大きい星)、スバルのフラグシップであることを表している。
SVXとは、「Subaru Vehicle X」の略。スバルが提唱した「グランドツアラー」を象徴した呼び名である
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