三菱・エクリプス
三菱・エクリプス
エクリプス(ECLIPSE)は、三菱自動車工業の米国法人、ダイアモンド・スター・モーターズが生産していた自動車である。
販売は北米市場を中心に展開されていた。3代目までは日本でも販売されていた。ただし3代目はモデル末期になって左ハンドルのままスパイダーのみが2004年から2006年まで輸入されていた。
1980年代後期、三菱自動車が北米市場で展開していたラインナップにあったスポーツカーは「スタリオン」のみであった。当時はコンパクトカーを中心に小型車、ポニーカーの人気が高まっていた時期でもあり、現地で展開していた日本メーカーにはマツダ・サバンナRX-7や日産・300ZX、トヨタ・スープラなど強力なライバルがいた。しかしスタリオンだけでは訴求力に欠いており、新たなモデルの開発の必要に迫られていた。
また時を同じくして当時提携関係にあったクライスラーでは、同社で販売していたレーザーがモデル末期に差し掛かっており、このクラスの後継車の開発の必要に迫られていた。
類似したコンセプトの車種の開発に迫られていたこともあり、三菱とクライスラーは新型車の開発で協業することとなる。かねてからの課題であった輸入車規制に対して対応する必要があったこともあり、両社は北米市場で展開する小型車を生産するための合弁企業「ダイアモンド・スター・モーターズ(DSM)」(現在のMMNAのディビジョンのひとつ)を1985年10月に設立し、新型スポーツカーの開発に取り組むこととなった。DSMはその出資比率により設立当初から三菱色が強く、これにより新型スポーツカーの開発にはギャランをベースとすることとなった(DSMで生産されている車はその後も三菱車か、あるいはそれがベースとなっているものがほとんどである)。
こうしてエクリプスは誕生し、市場に展開されることとなった。
なお、クライスラーによるバッジエンジニアリングが前提であったため同時期に姉妹車である「プリムス・レーザー」、「イーグル・タロン」も展開されている。最初の2世代は非常に似ていて、多くの機械部品と設計機能を共有していた。第3世代、4代目はそれぞれ新しいプラットフォームの上で再設計された。
北米市場では姉妹車を含めて大きなヒットを飛ばし、スポーツコンパクトカーの代名詞とも呼べる存在になった。
エクリプスは北米市場以外にも展開されており、初代モデルから3代目までは日本でも左ハンドルのまま導入されている。しかし元来北米市場をターゲットにしているためか、スタリオン同様に日本のユーザーにはあまり受け入れられなかったようで、日本での販売数は芳しいものではなかった。
「スタリオン」の後継モデルとして1989年にアメリカで発売される。シャーシ及び駆動系はギャランのコンポーネントをベースとしているためFF、4WDが選択できた。4G63エンジンを搭載していたことにより、北米市場ではその圧倒的なパフォーマンスでヒットを飛ばす。生産台数は30万2547台
グレード展開は前輪駆動+直4SOHC 1.8L NAエンジンの「ベース」(D21A型)、前輪駆動+直4DOHC 2.0L NAエンジンの「GS」(D22A型)、前輪駆動+直4DOHC 2.0L ターボの「GS-T」および四輪駆動+直4DOHC 2.0L ターボの「GSX」(D27A型)がラインナップされた。北米地域において販売されたエクリプスの大部分は、135馬力の三菱・4G63NAエンジンを搭載したGSモデルだった。トップグレードの4G63ターボ搭載モデルはクライスラー仕様であるプリムス・レーザーとイーグル・タロンでもそのバージョンを持っていたが、エクリプスではエンジン、パワートレイン、トリムオプションのフルラインが組み合わせ可能で、前輪駆動+4G63モデルのGS-T(ターボ用T)と全輪駆動のGSXという2つのラインナップを持ち、かつトリムやオプションの組み合わせ次第ではイーグル仕様より廉価なターボモデルが注文可能であった。逆にイーグル・タロンではより高級なイメージに合わせて、1993年までこれらは組み合わせることができなかった。エクリプスのトップスピードは143mph(230km/h)で、0-60mph到達時間はわずか6.3秒で、93mph走行時は15.1秒で1/4マイル(約400メートル)を通過する。
エクステリアは当時のクーペにおいて主流であったリトラクタブル・ヘッドライトが採用され、グレードによってはバンパー内にオプションとしてフォグランプが選択できた。ダッシュボードには、すべてのコントロールが円弧で到達できるようにする角度のついたデザインが採用されていた。ラゲッジは当時の同クラスのクーペと比べ、容量が大きくとられていた。
アメリカ以外でも展開され、ドイツなどヨーロッパ地域および日本などアジア地域にも順次導入されていった。
日本では2代目に変わるまでリトラクタブル・ヘッドライトであったが、北米では1992年にマイナーチェンジが行われた際にフェイスリフトが施されて前後のデザインが大きく変わり、特にフロントマスクは固定ランプとなり2代目に連なるデザインとなった。初代エクリプスは、2代目エクリプスをフィーチャーした映画「The Fast and the Furious」が上映されるまでアメリカで販売される三菱車の中で最も人気があった。北米の自動車雑誌におけるパフォーマンステストにおいても「ポルシェ944を困惑させるのに十分なパフォーマンスを備えた廉価なスポーツクーペ(Car and Driver 1989)」などとしてターボモデルが常にクラス上位を争っていた。1989年から1992年の間、ターボモデルがカーアンドドライバー誌の「テンベストリスト」に加えられている。
日本ではアメリカでの販売から遅れて1990年6月に販売開始。生産は北米仕様と同じくDSMで行われ、左ハンドル仕様のみ導入された。日本へは1990年に「GS」と「GSX」が導入され、「GSX」は当時の三菱の日本国内のグレード展開にあわせ「GSR-4」とされた。
日本国内仕様では、当時の保安基準の関係でウインカーの位置が薄型ポジションランプ内側からフォグランプの位置に移設された。またフェンダーには欧州仕様と同様にウインカーが増設され、サイドミラーは北米のエアロミラーに対し可倒式となった。シートベルトも北米仕様と同じ肩ベルトのみオートマチックシートベルト(シートベルト自動装着装置)が装備された。また石原プロのゴリラ・警視庁捜査第8班とのタイアップ企画で日本独自の仕様としてスタリオン同様にガルウィングドア仕様のモデルを発売することになり、新車の本体価格+加工費用で三菱ディーラーにて受注生産された。
1994年6月に1995年モデルイヤーとしてアメリカで2代目がデビューする。外観は先代に比べ流麗な丸みを帯びたマイルドなデザインとなった。先代と同じギャラン(6代目)の基本コンポーネントを流用しており、シャシも同一のため部品の従来型との互換性も高く、カスタムを行なうユーザーに好意を持って受け入れられた(ただし足回りは再設計されている)。搭載エンジンは先代に引き続いて4G63を搭載しているが、世代が新しくなっており出力も230psへ向上している。足回りはより洗練されたサスペンション設計となり、フロントにはダブルAアームサスペンションを使用し、リアはマルチリンクシステムを搭載した。グレード展開は前輪駆動+クライスラー製420Aエンジンを搭載したRS、前輪駆動+4G63NAエンジンのGS、前輪駆動+4G63ターボのGS-Tおよび四輪駆動+4G63ターボのGSXがラインナップされた。インテリアについて、ダッシュボードは先代と異なりベースとなったギャランに近いおとなしいデザインとなった。また先代から大きく改善されたポイントとしては運転席と助手席に搭載したデュアルエアバッグとABSの搭載があげられる。デュアルエアバッグが標準搭載されたことにより、シートベルト自動装着装置については廃止となっている。
1996年からは1997年モデルイヤーとしてフェイスリフトが行われるとともに、コンバーチブルモデルのスパイダーが追加された(日本も同様)。スパイダーは前輪駆動モデルのみラインナップされ、2.4LのGSまたは2.0LのGS-Tのいずれかが選択できた。
フェイスリフトは先代と異なりバンパーやヘッドライトのインナーハウジング形状が変わる程度の小変更となっているが、GS-TとGSXは大きなリアスポイラーが装着された。インテリアについても変更となり、1997-1999年モデルではインテリアカラーの選択肢が青から灰色に変わり、1995-1996年モデルは黒/灰色、淡黄色/灰色、灰色に変わった。ブラックレザーのインテリアオプションは1999年にのみ設定されていた。
1999年には特別仕様として 10th Anniversary OZ Rallyバージョンが発売された。このモデルはO・Z Racingのロゴが入った16インチのアルミホイールを装着し、インテリアはシート等がレザー仕様となっている。スペシャルエディションパッケージは、420Aエンジンでのみ提供された。
先代同様ドイツなどヨーロッパ地域および日本などアジア地域にも導入された。
イーグル仕様であるタロンが1998年にブランド終了とともに生産終了となったが、エクリプスは1999年まで生産が継続された。
販売期間中において、2代目エクリプスは初代より人気があるものではなかった。しかし2001年に2代目をフィーチャーした映画「The Fast and the Furious(邦題:ワイルド・スピード)」が上映されたことで一躍人気となり、エクリプスはスポーツコンパクトとしての地位を確たるものとした。
日本へは1995年6月に導入が開始される。日本輸入モデルの駆動方式は前輪駆動+ターボモデル(北米版GS-Tに相当)の1グレードのみの展開となる(1996年に導入されたスパイダーも同様)。日本で販売された当初、三菱レンタカーでは8,500円(当時のレートで約100ドル)で乗れるキャンペーンを行なっていたことがある。
1999年7月にデビュー。北米生産のギャランのプラットフォームを流用しており、駆動方式はFFのみとなる。また先代までの特徴であった4G63エンジンやターボモデルもラインナップされておらず、代わりに3.0L V6 SOHC 6G72 および 2.4L L4 4G64 SOHCが搭載された。
従来モデルよりもラグジュアリー志向に振っており、パフォーマンスカーとしての性格はかなり落ち着いている。また先代までに比べ販売価格も上昇している。クーペは2005年に販売終了。
日本へは、2004年10月25日にスパイダーのみが左ハンドルのまま日本で発売された。日本仕様はAT車のみの設定で本革シートを装備し、アメリカのオーディオメーカー、製カーオーディオを標準装備している。車輌側面のウインカーランプ装着等の日本国内保安基準適合措置以外は、ほぼ米国仕様そのままで販売された。2006年3月で販売は終了。
2005年のデトロイトモーターショーにプロトタイプが出展された。
アメリカでは同年5月20日にクーペが発売され、発売から1週間で1万台以上もの受注を達成した。エンジンはV6 3.8リッターMIVEC (260馬力) と4気筒2.4リッターSOHC MIVEC(165馬力)の二つ。ベースモデルは2万ドルを切り、割安感があるため、同時期にデビューした最新型フォード・マスタングとともに人気がある。
スパイダーは、2006年のデトロイトモーターショーで初披露され、同年4月19日に発売された。
韓国では2008年10月よりMMSKコーポレーションを通じて発売されたが(クーペ・2.4Lのみ)、日本やヨーロッパでは販売されなかった。
2011年1月、中期経営計画の「ジャンプ2013」を発表。その中で、販売不振が続く北米事業を立て直すため、2014年までに北米専用車を全て廃止すると宣言した。また、2012年12月11日、生産を終了し、北米での販売を年内に終了する事が発表された。
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