三菱・ギャラン
三菱・ギャラン
ギャラン(GALANT)は、三菱自動車工業が製造・販売していた普通乗用車。日本では2005年まで販売された。
Dセグメントに属する三菱自動車の乗用車。日本では1969年から2005年まで8代にわたり生産・販売された他、北米やアジア市場では日本にはない9代目モデルが2013年まで販売されていた。また、日本では2007年登場型の国外向けランサーに相当する車両がギャランフォルティスとして2007年8月から2015年3月まで販売されていたほか、2015年から2017年まではブルネイでギャランフォルティススポーツバックに相当するモデルがギャランの車名を名乗っていた。
本稿ではセダンを中心に記述する。また、この項目では以下のモデルについても便宜上記述する。
なお、クーペ仕様のギャランGTO、ギャランクーペFTO、ギャランΛについては当該項目を参照のこと。
1973年6月登場。“コルトギャラン”から“ギャラン”となり、車体サイズもアップした。通称も“ニューギャラン”。ボディ形状は4ドアセダン・2ドアハードトップ・5ドアライトバンの3種。バンのサブネームを「エステートバン」に改称。
エンジンは16Lから引き継いだ1,600ccサターン(4G32)と、新開発の1,850ccおよび2,000ccのアストロン2種(前者が4G51、後者が4G52)を搭載。1600には通常のガソリンエンジンの他、EMAOと称するサーマルリアクター付排気ガス対策仕様のCA-II(排気ガス規制自体には適合していなかった)、タクシー用LPG仕様の3種に細分化される。1850と2000にはシングルキャブとツインキャブがそれぞれ用意され、合計7種のエンジンラインナップがあった。
デザインは先代のイメージを引き継ぎつつも曲面を多用したものになり、ボディサイズも大幅に拡大。ホイールベースは先代と同じ数値(2,420mm)ながら同年2月に発売されたランサーとの棲み分けから、居住性を重視した内容になっていた。足回りのセッティングもソフトにされた結果、先代にあった走りのイメージは大幅に薄れてしまった。ただし、当時の日本車で流行した曲面を多用したデザインは採用せず、セダン・ハードトップ共に後方視界が良かった。また、伝統のチルトステアリングのほかにランバーサポートを初採用し、適切なシートポジションが取れることをカタログや広告などで謳っていた。
しかし、初代と比べてデビュー当初からインパクトに欠けていたため、売上は芳しいものではなく、加えて発売直後に起こったオイルショックにより、ニューギャランの販売台数は壊滅的な打撃を受けた。
1974年にはCA-IIが昭和50年排出ガス規制(A-)に適合、名称もMCAとなる。
1975年には1600SL-5をベースに丸目2灯ヘッドランプ・サイドストライプを採用した、1600GT・SL-5(これが正式呼称)をシリーズに加える。
同年11月には主力モデルが50年排出ガス規制を乗り越え、翌51年の排出ガス規制(B-)をクリアするなど、積極的な販売促進策を採るのだが、個人向けセダンは1976年5月にギャランΣに引き継がれる形でモデルチェンジした。ただし、ライトバンとタクシー用LPG仕様車は1977年8月まで継続販売されていた。2ドアハードトップは1976年11月にギャランΛに引き継がれる形でモデルチェンジした。
教習車仕様には北米仕様と同一の大型バンパー、およびエンジン回転計(タコメーター)を標準で装備しており、クラッチ操作においてエンジン回転を目安にしやすく初心者には好評であった。
なお、歴代のギャランシリーズで最も販売台数が多かったのはこの3代目(初代ギャランΣ)である。そのヒットは当時の三菱自動車を業界3位へ躍進させるきっかけになった。また三菱のイニシャル“M”を模したエンブレムは、このモデルから始まった。
1980年5月、フルモデルチェンジ。人気の高かった先代の直線基調イメージを色濃く残しながらも、空力性能を向上したスラントノーズが特徴でもあった。スタイリングは先代モデルのテーマを継承しているが、クリーンでシンプルな面構成、フォグランプ内蔵のヘッドライトやスラントノーズと一体化されたチンスポイラーなど、先代同様に当時の欧州車の流行を取り入れたものでより洗練されている。エンジンは1.6Lサターン80・86PS(G32B)、1.85Lシリウス80・100PS(G62B)、2.0Lシリウス80・110PS(G63B)、2.3Lアストロンディーゼル・75PS(4D55)の設定で競合車種に三菱も合流し、競合車種にいち早く2.3Lアストロンディーゼルターボ・95PS(4D55)を搭載しハイパワー化と省エネ時代に挑んだ。
当時のエンジンとしてはかなり強力なトルクを発生した2.0Lガソリン車とディーゼルエンジン車のMTには、クラッチの繋がりをよりマイルドにする目的で、フルードカップリングが採用された。このためシフトパターンは通常の5速パターンにATと同じPポジションが追加された特殊なものとなっている。
また電子技術の発展による装備品のクオリティもこのクラスでは考えられないものがあり、VELNAS(ベルナス)と呼ばれるドライブコンピュータ(ストップウォッチ・平均速度・燃費・燃料消費量が表示できた)、後席パワーリクライニングシート、リヤに密閉式ボックス型エンクロージャーのDIATONEスピーカーシステムを備えたカーオーディオ・さらに最上級グレードの2000ロイヤルには本革シート装着車もあった。
タクシー仕様も設定され、エンジンは1.8L LPG(G62B)と2.3Lディーゼルの2種類。1984年7月まで生産。エステートバン(車体は先代をキャリーオーバーし、フロント周辺のみ4代目と共通にしたもの)も設定され、1.6LにLとGL、2.0Lに2000スーパーエステートの3種類を設定。1985年2月に新型ミラージュ/ランサーバンに合流した。CMには高倉健が出演していた。
1987年登場。「E30系」はΣのサブネームが取れ、2代目以来久々に単なる「ギャラン」の車名に(3代目(セダン系のギャランとしては通算5代目)Σを1990年まで併売)。スリーダイヤのエンブレムが復活した(トランクリッドにはMMCのエンブレムも残っている)。G(グレ)、V(ヴィエント)、M(ミュウ)、4WD-V、と命名された4つのシリーズで構成されている。オーガニックフォルムと呼ばれるS字状のサイドビューと、三菱伝統の逆スラントノーズを久々に復活させたのが特徴である。
トップグレードであるVR-4は、三菱の看板車種として開発され、当時のハイテク装備(4VALVE、4WD、4WS、4IS、4ABS)を「ACTIVE FOUR」と呼称して装備し、当時直列4気筒史上最強のネット値205PSを発生させる4G63ターボエンジン(インタークーラー付)を搭載したスポーツセダン。初期205ps→中期220ps→後期240psとマイナーチェンジ毎にパワーアップが図られた。マイナーチェンジ時に追加されたAT車は、小径T/Cをはじめとした異なるチューニングとなっており、最高出力は210psに抑えられている。その4G63ターボエンジンと4WDシステムはランサーエボリューションに受け継がれ、年々進化していった。ランエボだけでなく現代の国産ハイパワー4WD車の元祖である。程度の良い個体は中古車市場ではランサーエボリューションI - IIIよりも高価になる場合もある。動力性能だけみればかなりのものだが、その反面、。
VR-4は世界ラリー選手権 (WRC) のトップカテゴリーがグループAへ移行した時期と重なったことにより、競技ベース車としても用いられ、WRCでは篠塚建次郎による日本人初優勝を含む6度の優勝を獲得した。
VR-4以外のラインアップには、2.0L DOHC16バルブ(4G63・140PS)・1.8L SOHC(4G37・ECI仕様94PS/エレクトロ キャブレタ仕様85PS)・1.8Lディーゼルターボ(4D65T)・1.6L SOHC(4G32・79PS)などがある。カープラザ店で販売される姉妹車のエテルナは5ドアハッチバックセダンとなった。ちなみに、日本で売られていた5ドアセダンのエテルナは、輸出市場ではギャランとして販売されていた。ただ当時の日本では人気薄な5ドアセダンであることによって販売不振になり、わずか1年半でコンベンショナルな4ドアノッチバックセダンの「エテルナSAVA」が追加されることになった。
マイナーチェンジ時に追加された「AMG(現:メルセデスAMG)」には、4G63NAエンジンをベースに、高速型中空カムシャフト、冷鍛製チタン合金リテーナ、ステム細軸化、ポート径拡大、ピストン変更、触媒排気抵抗低減、プレミアムガソリン仕様化などのチューニングを施し、さらに排気系の改良などが施された。このAMG専用エンジンは、NAという事もあってスペック上はVR-4に搭載されたT/C インタークーラ付仕様に及ばないものの、そのフィーリングは高く評価されている。また、このエンジンの各種パーツは、フォーミュラ・ミラージュにおいても使用された。また「VX」、「VX-S」には電子制御アクティブサスペンション「ECS」を採用していた(ECSはMX、AMG、Viento等にもメーカーオプションとして装着可能)。
開発途中まで、先代ギャランΣの延長線上にあるエクステリアデザインであったが、社内プレゼンテーションで「新鮮さに欠ける」との意見があがり、それまでインテリアを担当していた当時31歳の若手デザイナーが、急遽2ヶ月で仕上げて提案したモデルが採用された。非常にマッシブなスタイルであり、40歳代~50歳代からは拒否反応が強く、半面でそれ以下の世代からは強い支持があったための採用と言われている。スタイリッシュな4ドアハードトップ全盛の中での居住空間を重視した高い全高、巨大なメーターをはじめとして内外装ともに個性的なスタイリングであるとともに、現在では常識となったダイヤル式空調スイッチ、グリップ(把手)式ドアアウターハンドル、親指以外の4本の指をスムーズに入れられる大型インサイドドアハンドルや赤外線式キーレスエントリーなど、他の日本車に先駆けて採用となったものも多く、きめ細かい使い勝手への配慮が伺える。
この6代目ギャラン発表に際し、スタイリングを中心とした開発過程を纏めて書籍として発売しており、当時の三菱自動車の強い意気込みが伺える。メインセクションのS字断面スタイリング(三菱の定義ではオーガニックフォルム)は、その後の一部のアメリカ車などにも影響を与えた。ただし、この処理はギャラン以前に既にジョルジェット・ジウジアーロが1980年のコンセプトカー、「メドゥーサ」で用いている。
このギャランのデザインやメカニズムを基本とし、それ以降に発売されたミラージュやランサー、ミニカ、パジェロなどといった一連の三菱車がフルモデルチェンジしていった点は、特筆すべき点である。
E39A型ギャランVR-4は1988年にグッドデザイン賞を受賞している。
VR-4は6A12ツインターボのV6 2LエンジンでMT車240ps、AT車215psとなった。
姉妹車としてカープラザ店向けにエテルナ、ハードトップのエメロードが設定されていた。また海外では、クライスラーブランドのシーラスやセブリング(初代)、ダッジブランドのストラトスやアベンジャー(初代)とのプラットフォームが共有されていた。6代目とは異なり、ギャランとエテルナでスタイリング面で完全に独立したモデルとされた。しかし、前モデルのマッシブなスタイリングが女性に不評だったとのマーケティングの結果と、空力追求のためのキャビン縮小から、没個性的で中庸なデザインとなり、商業的には失敗に終わる。
これまで設定されていた教習車仕様は、当モデルが3ナンバーになった事もあり、クラス下の5ナンバーのランサー(輸出仕様のバンパーを装着)に変更した。
ギャランスポーツは3万6131台が生産された。
台湾では三菱自動車のビジネスパートナーである中華汽車が2004年12月に「ギャラングランダー」(Galant Grunder)の名称で発表した。開発は中華汽車亜州技術研発中心 (CARTEC) で行われ、内外装がベースの北米仕様車から大幅に変更された。グランダーは2006年1月にはフィリピンへの輸出が開始され、同年11月には中国の東南汽車でも「ギャラン」(戈藍)として製造・販売が開始された。
エンジンは直4 2.4Lが搭載される。中国のみ後に2.0L搭載車も追加された。
2007年12月にフェイスリフトが行われて富士山グリル(いわゆるブーレイ顔)が廃止された。この時にカタログ表記上は「グランダー」となったが、エンブレムは従来通り「GALANT Grunder」と表記されている。2009年にはタクシー向け専用モデルが追加された。
2013年6月時点で、台湾では既に販売が終了した模様である。その後も中国の東南汽車では2015年まで年産数百台規模で少量が生産されていた。
オセアニアでは、前後デザインを若干修正したものが「三菱・380」として発表された。それまでのマグナ/ベラーダの後継車種である。アデレード工場で生産されていたが同工場の閉鎖に伴い、2008年限りで販売打ち切りとなった。
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