スバルレガシィB4の中古車
販売期間:2018年10月から販売中
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スバルレガシィB4 |
SUBARU
株式会社SUBARU(スバル、)は、日本の自動車などを製造する重工業の会社である。
かつての商号は、「富士重工業株式会社」(ふじじゅうこうぎょう、略称:富士重(ふじじゅう)・富士重工(ふじじゅうこう)、、略称:FHI)であったが、2017年4月1日に自動車のブランド名として広く浸透していた「SUBARU(スバル)」に由来する「株式会社SUBARU」に商号を変更した。
日本の自動車メーカーとしては古い歴史を持ち、国内規模は小さいながらもレガシィシリーズ、フォレスター、インプレッサシリーズなどで世界的人気・知名度の高い自動車メーカーの一つである。特に同社のアイデンティティである4輪独立懸架や水平対向エンジンの技術は北米を始めとする海外で高く評価されており、中古車の輸出も盛んに行われている。なお、愛媛県四国中央市に本社を置く紙加工メーカーのスバル株式会社とは社名が似ているが無関係である。
1917年(大正6年)5月、中島知久平(元海軍機関大尉)によって群馬県新田郡尾島町(現:太田市)に設立された民営の飛行機研究所を前身とする。太平洋戦争(第二次世界大戦)終戦後、GHQにより財閥解体の対象となった中島飛行機(1945年(昭和20年)に富士産業と改称)がプリンス自動車工業と共に解体されたのが 、富士重工業のルーツである。
軍需から非軍需産業への転換、スクーターやバスなどの輸送用機器開発、企業分割などを経て、旧中島系の主要企業の共同により1953年(昭和28年)に富士重工業を設立。1955年(昭和30年)に参画各社が富士重工業に合併されることで企業としての再合同を果たした。
1958年(昭和33年)発売の軽乗用車「スバル・360」と、その派生型である1961年(昭和36年)発売の軽商用車「スバル・サンバー」が技術的・商業的に大きな成功を収めたことで、以後「スバル」ブランドの自動車メーカーとしての地位を確立。その他の分野にも多角的に進出しながら現在に至っている。
中島飛行機は、主として太平洋戦争敗戦まで陸海軍の需要に応え、軍用機および航空用エンジン開発・製造に取り組んだメーカーである。三菱重工業、川崎航空機と並ぶ、日本最大規模の航空機製造会社であった。
特に技師長小山悌の指揮下、陸軍(陸軍航空部隊)の歴代主力戦闘機・九七式戦闘機、一式戦闘機「隼」、二式戦闘機「鍾馗」、四式戦闘機「疾風」など、多数の著名な軍用機を送り出した。実戦投入は成らなかったが、日本初のジェットエンジン搭載機「橘花」の機体製造も中島の手に依っている。
航空発動機部門では、軍用ゆえの生産性や戦闘における生存性、前線での整備性などから空冷星型エンジンにほぼ特化しており、一式戦「隼」や零式艦上戦闘機(零戦)に搭載された「榮(ハ25)」、四式戦「疾風」や「紫電改」に搭載された「誉(ハ45)」などを開発した。
日本の敗戦とともに、GHQより航空機の研究・製造の一切が禁止され、中島飛行機は新たに富士産業と改称された。戦時中、最先端の航空機開発に取り組んだ技術者たちの生活は、各工場毎に、自転車、リヤカー、自動車修理、果ては鍋や釜、衣類箱、乳母車などの金属製品を作って糊口を凌ぐ日々へと一変した。
このような状況の中、太田と三鷹工場の技術者たちは、進駐軍の兵士たちが当時移動に利用していたアメリカ製のスクーター「パウエル」に着目する。軽便な移動手段としての販路を見込めると考えられたことからスクーターの国産化が計画され、早速、敗戦後も残っていた陸上爆撃機「銀河」の尾輪をタイヤに利用して試作、1947年(昭和22年)に「ラビットスクーター」として発売した。ラビットは運転が簡易で扱いやすかったことから、戦後日本の混乱期において市場の人気を博し、会社の基盤を支える重要な商品となった。ラビットシリーズのスクーターは、モデルチェンジを繰り返しつつ富士重工業成立後の1968年(昭和43年)まで生産された。
また航空機製造で培った板金・木工技術を活用し、1946年(昭和21年)からバスボディ架装にも進出、特に従前のボンネットバスより床面積を大きく取れるキャブオーバー型ボディの架装で、輸送力不足に悩むバス会社から人気を得た。さらに1949年(昭和24年)にはアメリカ製リアエンジンバスにならい、得意の航空機製造技術を生かした、日本初のモノコックボディ・リアエンジンバス「ふじ号」が完成。フロントエンジン型キャブオーバーバスより更にスペース効率に優れることから成功を収め、以降、日本のバスボディ・シャーシの主流はリアエンジンへ移行していった。
このようにして非軍需産業へ転進した富士産業であったが、1950年(昭和25年)8月、当時の政策によって財閥解体の対象となり、工場毎に15社以上に分割されてしまった。
1950年(昭和25年)6月に勃発した朝鮮戦争は、戦後不況にあえぐ日本に「朝鮮特需」をもたらしただけでなく、GHQの日本の占領政策を一変させた。1952年(昭和27年)4月、サンフランシスコ講和条約が発効すると、旧・財閥から民間賠償用としてGHQに接収されていた土地・建物の所有者に返還が始まった。富士工業(太田、三鷹工場)、富士自動車工業(伊勢崎工場)を中心とした旧・中島飛行機グループ内での再合同の動きがにわかに活発化、1952年(昭和27年)12月、大宮富士工業(大宮工場)、東京富士産業(旧・中島飛行機・本社)を加えた4社が合併同意文書に調印した。
同じ頃、1953年(昭和28年)の保安庁(現:防衛省)予算に練習機調達予算が計上され、航空機生産再開に向けて、ビーチ・エアクラフトT-34 メンターの製造ライセンス獲得に国内航空機メーカー各社は一斉に動き出した。当時、再合同の途上にあった旧・中島飛行機グループも再合同の動きを加速させた。1953年(昭和28年)5月には、鉄道車両メーカーとなっていた宇都宮車輛(宇都宮工場)が新たに再合同に参加することが決まり、1953年(昭和28年)7月15日、5社出資による航空機生産を事業目的とする新会社富士重工業株式会社が発足した。因みに丸の中に6つの星が描かれたSUBARUのロゴマークは、この「5社が集まって1つの大きな会社になった」ことを示している。
1954年(昭和29年)9月、6社が合併契約書に調印。1955年(昭和30年)4月1日、富士重工業は、富士工業、富士自動車工業、大宮富士工業、宇都宮車輛、東京富士産業の5社を吸収し、正式に富士重工業株式会社としてスタートした(当時の資本金:8億3050万円、従業員:5,643名)。ロゴは「富士重工」で、「重」の1画目がない形になっており、長らく使用された。
旧・中島飛行機の発動機開発の拠点で、荻窪工場と浜松工場を引き継いだ富士精密工業は、中島飛行機再合同の動きが本格化した1952年(昭和27年)には、事実上、既にタイヤメーカーのブリヂストンの資本下に入っており、再合同には参加しなかった。また、この時再合同に加わらなかった、富士機械工業など3社は、後に富士重工業の関連会社として加わっている。
富士重工業は、1966年(昭和41年)に東邦化学株式会社と合併し、存続会社を東邦化学株式会社とした。この存続会社の東邦化学株式会社は1965年(昭和40年)に商号を富士重工業株式会社と改めた上で合併しているため、一貫して継続した同一名称ではあるが、法律的には従来の富士重工業は1965年(昭和40年)に一旦消滅している。これは株式額面金額変更が目的の事務的なものである。
1966年(昭和41年)、それまで東京・丸の内の内外ビルディングに所在していた本社機能が新宿駅西口(新宿区西新宿)に自社建設した「新宿スバルビル」に移転する。
この節では自動車部門について述べる。
レオーネを発売した1970年代初頭から、本格的なアメリカ市場への進出を開始。オイルショックや排気ガス規制などの消費者の自動車に対する要求の変化や、当時の円安を背景とした廉価性を武器に、国産他メーカーと同じくアメリカ市場での販売台数を飛躍的に伸ばすことに成功した。
1968年(昭和43年)から1999年(平成11年)まではメインバンク(日本興業銀行/現: みずほ銀行)が同じ日産自動車と提携、日産・チェリー、パルサー、サニーなどの委託生産を請負い、工場稼働率のアップを図っていた。しかし、これら横置きエンジンの受託車両とスバル車とはボディ骨格からが大きく異なるため、設計や部品の共用化などが本格的に行われることはなかった。
一方、水面下では、インプレッサの企画段階において直列4気筒を横置きした試作車が作られ、水平対向の制約から逃れて「広い意味での汎用性」に重きを置く商品政策に舵を切る動きもあった。
1968年2月に(スバル・オブ・アメリカ)設立、同年イスラエル進出を皮切りに(エピソード欄も参照)、1970年代中盤から、南米、オーストラリアを中心としたアジア・オセアニア地方、中東、ヨーロッパなどにも進出。1970年代以前には年産10万台にも満たなかった生産台数を、1970年代後半には20万台規模にまで増やし、順調に企業規模を拡大した。
1985年(昭和60年)9月のプラザ合意以降の急激な円高とアメリカ市場との「共生」が求められるようになった時代背景の中で、北米市場での深刻な販売不振に直面。1987年(昭和62年)、いすゞ自動車との共同出資で、スバル・イスズ・オートモーティブ (SIA)を設立して現地生産も開始したが、主に魅力的な車種展開が図れなかったことや、企業規模から他国産メーカーと比べ製造コストを劇的に下げることができなかったことなどから、1989年には300億円もの営業赤字に転落。深刻な経営危機が報じられるまでになった。
しかし、折からの「バブル景気」によって資金調達のめどが順調に立ったことや、1989年1月、レガシィの発売以来、順調に国内市場、北米市場での販売を回復することに成功。1990年(平成2年)には日産ディーゼル(現UDトラックス)の経営再建に手腕を発揮した川合勇の下で地道なコスト削減努力が続けられた。WRCへの出場など、CI(コーポレーテッド・イメージ)の積極的な訴求効果とあわせ、年産100万台規模の世界的に見て比較的小規模なマスプロダクツ・メーカーとして現在に至っている。
バブル崩壊後、日産自動車が経営不振に陥り、経営再建の一環として日産自動車保有の富士重工業株の売却を決め、2000年(平成12年)に放出株全てがゼネラルモーターズ(GM)に売却された。
2005年(平成17年)10月5日にはGMの業績悪化に伴い、GMが保有する富士重工株20%を全て放出。放出株のうち8.7%をトヨタ自動車が引き受けて筆頭株主となり、富士重工業とトヨタ自動車が提携することで合意した。トヨタとの資本提携によるスバルの恩恵は大きく、稼働率の下がっていたスバルの北米工場で「トヨタ・カムリ」の生産を請け負ったり、品質管理やコストダウンの方法を学んだりするなどして利益率を高めた。また北米特化の車作りに転換する一方で、風力発電事業や軽自動車生産から撤退するなどの「選択と集中」を進めた。軽自動車保有層の受け皿としてダイハツ工業車のOEMを受け、販売を継続することとした。こうした努力が2015年の利益率業界1位に繋がっている。また2012年の「86/BRZ」の生産・販売も、トヨタとの提携を生かそうと模索していたことがきっかけであった。
2010年(平成22年)8月、東京都新宿区の本社ビル(新宿スバルビル)が老朽化したことなどに伴い、建物を小田急電鉄に売却した上で、本社機能を東京都渋谷区恵比寿の東京スバルの本社が入っていた「エビススバルビル(旧)」の跡地に新たに建て替える「エビススバルビル(新)」へ移転させることを発表。2014年(平成26年)8月18日、本社移転が完了した。なお、エビススバルビル(新)の一角はスバル恵比寿ショールーム(スバル スター スクエア)および東京スバル恵比寿店として機能する。
2013年(平成23年)1月、ロボット開発で国からの補助金を不正受給していたことが判明し、経済産業省と新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)から計8億250万円の返還処分及び補助金交付停止処分を受ける。
2016年(平成28年)5月、2017年(平成29年)4月1日付で社名を「富士重工業株式会社」から「株式会社SUBARU」に変更することを臨時取締役会で決議した。
2016年10月1日、産業機器部門が自動車部門に統合された。その後、12月7日に「2017年9月30日をもって事業を終息し、一部技術資産と米国販売子会社10月1日付けでヤマハ発動機へ譲渡する契約を締結した」と正式に発表した。これにより、SUBARUは今後自動車生産と航空関連に特化した企業となり、商号変更とともに新時代を迎えることとなる。
米紙『シカゴ・トリビューン』では、スバルの北米市場での成功は、四輪駆動と安全性が裏付ける確かな商品群を、適正価格で販売できるからだと指摘している。『東洋経済』によると、米国における在庫回転期間は、他社が概して2か月のところスバルは半月程度に過ぎず、販売奨励金は570ドルであり、1000ドル以下は異例と報じている。
2019年にはトヨタが出資比率を20.00%に増加させて持分法適用会社(=関連会社)となり、同時にスバルもトヨタの株を持ち合って連携を強化した。また、EVのSUVのプラットフォームをトヨタと共同開発することも発表されている。
1953年(昭和28年)9月、富士重工業はビーチ・エアクラフト社と「T-34 メンター」の製造ライセンス契約に調印。1955年(昭和30年)10月、国産1号機を完成させ、防衛庁への納入を開始した。さらに1957年(昭和32年)11月、戦後初の国産ジェット機「T-1 (練習機)(初鷹)」の開発に成功。中等練習機として1963年(昭和38年)までに66機を防衛庁(現: 防衛省)に納入した。
1965年(昭和40年)8月、民間向け軽飛行機FA-200「エアロスバル」の初飛行に成功。翌1966年(昭和41年)10月から販売を開始。低翼式の機体を採用したFA-200は低速時の安定性に優れ、アクロバット飛行なども可能な万能機として好評を博し、298機を生産した。
戦後初の国産旅客機「YS-11」の開発にも参加。主翼桁と尾翼を担当。この経験はのちに、1973年(昭和48年)12月、アメリカ・ボーイング社とボーイング747の生産分担契約に結実し、1974年(昭和49年)には新世代旅客機ボーイング767の国際共同開発プロジェクトに参加。国際分業に大きな役割を果たした。
一方で1974年(昭和49年)、富士重工業は米国のロックウェル・インターナショナル社と双発ビジネス機FA-300の共同開発を開始。1975年(昭和50年)11月に初飛行に成功、1977年(昭和52年)から販売を開始した。しかし、オイルショックの打撃によりロックウェル社が軽飛行機事業から撤退し計画は頓挫。FA-300は僅か42機で生産を打ち切り、富士重工業も小型機の自社開発を断念する結果となった。
以上のように民需(民間機)については限定された実績にとどまるが、官需(もっぱら陸海空の各自衛隊機)については「T-34」や「T-1」の後も順調に実績を重ねてきた。詳細は#航空宇宙部門の節を参照。民間機についても、1990年代以後の潮流として増えてきている国際・複数企業による共同開発にいくつか関与している。
主力のSUBARU群馬製作所とその矢島工場がある群馬県太田市と、大泉工場がある同県大泉町は周辺を含めて下請け企業も多く、企業城下町となっている(「太田市#産業」「大泉町#産業」参照)。そこで働くために南米日系人らが多く移り住み、太田市と大泉町は外国人集住都市会議のメンバーとなるなど地域社会への影響は大きい。群馬製作所の本工場所在地は地名もスバル町となっている。
太田市と同じ両毛エリアには、研究開発部門としてスバル研究実験センター(栃木県佐野市)を有する。同センターの美深試験場(北海道美深町)には、走行試験や運転支援技術などの開発に使うテストコースを備えている。
日本と並ぶ主要市場であるアメリカ合衆国では、現地生産を行っている。
日本航空業界の草分けである中島飛行機の後身で、現在も日本の航空宇宙業界で第三位であり、防衛省向け航空機の製造・開発及び定期整備やボーイング社向け分担生産を中心とし、その他 海上保安庁、消防や警察向けのヘリコプターの生産・整備も広く行っている。中でも固定翼機の主翼製造には業界屈指の技術と品質を誇り、ボーイングからボーイング787の開発に関わる企業の中で特に高度な能力を持つサプライヤーとして高く評価する表彰を受けているほか、対潜哨戒機P-1や輸送機C-2など(主に主翼を製造)の国内開発でも大きく貢献している。
40m超の主翼製造能力・設備は世界でもボーイングやエアバスに次ぐレベルである。
複合材製品についても、世界屈指の技術力を持つ。複合材料の実機適用は国内メーカーの先駆的役割を果たしている。
民間分野ではYS-11開発参加やFA-200販売で国産機の実績を積んでいる。
無人航空機の開発にも積極的であり、標的機や無人偵察機など自衛隊向けの機体を主とし、将来の無人機の活躍を見据えた複数の新型無人機開発に関わっている。任務多様化、機能高度化に向け、様々な技術を研究・開発中である。
さらには宇宙航空研究開発機構(JAXA)の超音速実験機D-SENDの製造・開発や航空自衛隊の先進技術実証機(後のX-2)の主翼・尾翼製造・開発など日本の航空宇宙産業発展のための高度な先進技術の研究開発にも数多く参加し、実績を残している。
現在は各種環境用プラント設備のみを生産している。それ以外の製品については後述。
1946年(昭和21年)に小泉ボデー製作所(当初別会社)でスタートし、日本で初めてのフレームレスモノコック構造によるリヤエンジンバス「ふじ号」(1949年(昭和24年))の開発に成功。後に富士自動車工業となり、「スバル360」等の開発を行ない、現在の主力であるスバルブランドの乗用車にも発展した事業である。この分野では「スバル」ブランドを使っておらず、エンブレムとしてもプレアデス星団をあしらったスバルのエンブレムではなく、カタカナの「フ」の字をあしらったエンブレムを使用している(右の写真を参照)。一時期は民生デイゼル→日産ディーゼル(現・UDトラックス)を中心に大型自動車メーカー5社のバス車体を架装し、バス車体シェア1位を誇っていたが、シャーシメーカーのバス車体メーカーの系列化(子会社での生産)で生産台数が減少した。
ピークとなる1980年(昭和55年)には1日12台を製造、年間では2,393台を生産したが、バス事業の環境変化から1993年(平成5年)以降は赤字状態となっていた。1998年(平成10年)に三菱ふそうと日野自動車の架装から撤退、2002年(平成14年)1月に日産ディーゼルがバス車体の架装を西日本車体工業(西工、福岡県北九州市小倉北区)に集約することを決定したため、同年5月に事業存続は困難と判断し、伊勢崎製作所で行なっていたバス車体架装事業を終了する決定をした。
このため、バス車体架装事業は日産ディーゼルとごく少数のいすゞ自動車を最後に2003年(平成15年)3月31日で生産を終えた。3月28日には「バス最終生産車出荷式」が執り行われ、東濃鉄道納入の日産ディーゼル大型観光バスを送り出し、バス車体事業部門の解散式となった。1946年(昭和21年)以来、57年間続いたバス車体事業は累計生産数8万1,292台もって終止符を打った。なお、国内向けだけではなく、海外向けにも6,000両以上が出荷された。
またABボルボのシャシーを輸入し、アステローペシリーズと連節バスを製造していたが、これらも2000年(平成12年)に生産が終了している。なお、伊勢崎製作所はその後スバルカスタマイズ工房(現:桐生工業伊勢崎工場)となり、販売済みの車両に対するアフターサービスを行なっている。
1950年(昭和25年)頃から主に客車と気動車を旧国鉄やJR、私鉄、第三セクター向けに、また、群馬・栃木県内に路線を持つ東武鉄道向けには電車を生産していた。生産両数の減少により2002年(平成14年)5月に事業存続は困難と判断し、宇都宮車両工場(現在のエコ宇都宮工場)で行っていた鉄道車両事業を終える決定をした。2003年(平成15年)2月に新潟トランシス新潟事業所(新潟県北蒲原郡聖籠町)へ事業譲渡。JR四国2000系気動車などの振り子式気動車は大半が富士重工製。
鉄道車両事業の最終製造車は甘木鉄道AR300形AR303号車となった。最後に製造された電車は東武30000系電車(31406Fの4両)。
なお、先述の伊勢崎事業所でも、東京都電2500形8両のうち昭和34年製造分の6両製造していた。この2500形は、当初軌間1,067mmの第14系統杉並線専用に杉並電車営業所へ配属された電車で、台車はD-10Nという戦前の車両のものを再利用している。1963年(昭和38年)11月23日の都電杉並線・杉並電車営業所廃止後は荒川電車営業所へ移送され、しばらく留置の後に改軌のうえ営業復帰。さらに事故廃車の1両を除く7両が早稲田電車営業所に転属し、昭和43年9月に除籍・廃車となった。
他、も参照。
他、も参照。
も参照。
他、も参照。
なお、富士重工業は、2016年10月1日をもって自動車部門の競争力強化のため、産業機器カンパニーをスバル自動車部門に統合し、既存商品の製造、販売、サービスに特化した上で、開発案件の停止による人員の自動車部門への配置転換など、将来的には事業縮小・撤退の意向であると発表した。
そして2016年12月7日、「2017年9月30日付けで事業終了とし、一部技術資産と米国販売子会社を10月1日付けでヤマハ発動機へ譲渡する契約を締結した」旨を正式に発表した。
SUBARUでは、建設現場向けの仮設ユニットハウス、小型のプレハブ住宅を製造していた。以前は通信販売で名高いセシールでも扱っていたことがある。
2004年に富士ハウレン株式会社へ分社化し、2011年に社名を富士重工ハウス株式会社に変更されたが、2020年3月2日付で子会社のスバルファイナンス保有分も含めた全株式がユアサ商事へ譲渡されたと同時に、富士クオリティハウス株式会社へ商号変更された。
1998年、富士重工会長・社長の川合勇と専務取締役の小暮泰之が、海上自衛隊の救難飛行艇開発をめぐり賄賂を提供していたとして逮捕され、辞任する事件が起きた。賄賂を受け取った国会議員は富士重工の前身「中島飛行機」の創業者の一族、中島洋次郎元衆院議員であったが、2000年9月に懲役2年の実刑判決を受けた。しかし精神不安定に陥っていた中島は2001年に首を吊り自殺した。富士重工側の2人は2006年に執行猶予つきの懲役刑が言い渡された。
1996年(平成8年)、滋賀県にて「レガシィ」がブレーキの故障によって正面衝突する事故を起こした。警察は捜査の結果、同様のトラブルが1994年1月、岡山・千葉両県で発生し、本社に苦情が寄せられたが内密に処理されていたことが判明。1997年(平成9年)には工場を取り調べた警察によって欠陥隠しが判明。ブレーキ以外にも多岐にわたる不具合が発覚し、警察から警告を受けたスバルは11車種147万台についてリコールを届け出た。1998年(平成10年)、東京地方裁判所は富士重工業に過料140万円(7件分)の支払いを命じた。また、事故発生の危険性を十分認識しながら運輸省(当時)にリコールを届けなかったため事故が起きたとして、富士重工業の当時の品質保証本部の幹部2人を業務上過失傷害容疑で大津地方検察庁に書類送検した。2000年(平成12年)に大津地検は業務上過失傷害罪で同社の品質管理責任者だった2人を略式起訴、一週間後に罰金各50万円の略式命令が下った。
2017年(平成29年)9月には「サンバー」62万台がリコールとなったが、リコール対象は1999年2012年生産(6代目)と古くに及ぶことに加え、多数の不具合報告と2013年(平成25年)、2015年(平成27年)と2度の行政指導があったにも関わらず遅いリコールとなったため、サンバー所有者の不信を招いた。これについてスバルは「プーリーが外側に出ない構造であった」「対応に時間がかかった」としている。
2012年、クリーンロボット事業部において不正経理が行われていたと共に、経済産業省や行政法人からの委託事業・補助金事業について不正が行われていたと発表した。不正経理は2004年から2011年の間に行われ、架空発注の元に2億円以上の資金を不当にスバルから引き出し、主にクリーンロボット部部長が私的に流用していた。スバルは元クリーンロボット部部長を栃木県に刑事告訴した。
1984年に運輸省での「レオーネ」の型式認定試験の際、事前の提出書類の数値よりも実際の車重が軽くなってしまったため、密かに重りとなる鉛数十kgを前後バンパーに詰めていたことが発覚。これにより「レオーネ」の販売開始が遅れ、生産計画に混乱が生じた。
2017年9月に日産自動車が起こした無資格検査問題に伴い、自動車企業各社で調査がされた結果、スバルは群馬工場で30年以上にわたって無資格で検査をしていたことが判明した。「BRZ」の兄弟車でスバルが生産を担当する「トヨタ・86」を含めて直近3年間の25.5万台がリコールとなった。
問題になった完成検査は日本国内車のみに適用されるもので、大別して①保安基準検査と②型式検査に分かれる。②型式検査の方法は各企業で異なるものの、国土交通省に申請し認可を受けた方法である必要があり、また①保安基準検査の基準と手法は全社共通である。完成検査員は、各企業内で「当該検査に必要な知識及び技能を有する者のうちからあらかじめ指名された者(=資格取得者)」が行う必要があった。スバルでは、まず有資格者の監督下で無資格者が検査を行う→独り立ちして一定期間業務→筆記試験受験→資格取得という流れであったが、この「独り立ち」の時点では誰も監督していなかったことが問題とされた。また独り立ち期間中に完成検査員の印章を借りて押印することも常態的に行われていたという。また同年12月に国土交通省に提出された調査報告書によると、研修自体が十分な時間に満たなかったことや、筆記試験で試験官が答えを教えるなどの不正をしていたことも判明。さらに国土交通省の立ち入り検査の際は、無資格者を意図的に現場から外すなどの隠蔽工作も慢性化していたことが分かった。日産の不正と合わせて日本の完成検査制度の信頼が崩れたことで、貿易自由化交渉や経済連携への悪影響が懸念される。
佃モビリティ総研の佃義夫所長は国内の販売が減少状況で、メーカーは国が定めた点検手順を費用のみがかかる形式的な行為だとしていたと分析している。また韓国の『中央日報』は他国には無いもので、十分に監督されるわけでもない規制が問題の一端を提供したのだと日本が不要な規制を設けていたことを批判した。ジャーナリストの井元康一郎は、既に完成検査の基準を凌駕する品質が確保されているため実際の検査を修業に使う行為や、現場の意見が強くルールも工場ごとの流儀で決まり経営側も改革を進められないなど、自動車製造など日本の古典的な製造業に由来する現象だと指摘している。
上述の無資格検査が発覚した際、燃費の不正もあるという報告を受けて外部弁護士に調査を依頼したところ、同検査の一部である、抜き取りによる燃費検査と排ガス検査においてデータ書き換えが行われていたことが2018年3月に発覚した。燃費の検査行為は道路運送車両法の保安基準の対象外(=自主的なもの)である一方、排ガスの検査は対象内であるため同法に抵触する可能性がある。いずれも基準値の範囲内であるとして、リコールは行わない見込みであるが、これらの一連の問題を受けて吉永社長は会長職へ退いた。
翌4月に提出された報告書によると、少なくとも2012年12月から2017年11月までの間に903台において検査員および班長によるデータの書き換えがあった。また同期間以前のデータは既に無いが、「2002年から不正が行われていた」という証言もあり、同報告書はその可能性は否定できないとした。
同年9月には、加えてブレーキ検査でのデータ改ざんも発覚。こうした不正の一部は1990年代前半から行われていたとされる。さらに同年11月に、これらの検査不正は発覚後も一年の間(同年10月まで)行われていたことが判明。追加で10万台のリコールが発表され、一連の不正によるリコールは53万台に膨れ上がった。
2018年10月25日にエンジンの部品が壊れる恐れがあるとして、複数の車種について大規模なリコール(回収・無償修理)を近く国土交通省に届け出ることが明らかとなり、国内のみならず、海外で販売した車種にも影響が及ぶ可能性があるとしている。対象は少なくとも数十万台にのぼる模様となる見込み。バルブスプリングというエンジン部品が不具合を起こし、エンジンの作動に影響が出る恐れがあり、日米の市場で販売した戦略車種が対象になるとみられる。また、トヨタ自動車と共同開発したスポーツカーの「BRZ」、およびその同型車種となる「トヨタ・86」もリコール対象に含まれる。
2019年1月16日から国内唯一の完成車工場である群馬製作所(群馬県太田市)の操業を全車種で停止した。部品メーカーから調達している電動パワーステアリングに、不具合が見つかり、原因の究明を優先した。28日からの操業再開を準備しているが納車の遅れや新たなリコール対策などの影響が懸念される。
2019年1月28日から、不具合の恐れがある電動パワーステアリング(EPS)について対策を施したEPSの調達に一定のめどをつけたため工場を再稼働した。当面は1日の生産台数を減らして品質優先での操業となる。出荷済みの車については、リコールの有無などを検討する。
2019年1月31日、生産停止の原因となった電動パワーステアリングの不具合で「フォレスター」など3車種計約780台をリコールすると国土交通省に届け出た。リコール対象は他に「SUBARU XV」と「インプレッサ」で、2018年(平成30年)12月28日~2019年(平成31年)1月16日製作分。また、国内向け約780台のリコールに加え、海外向けに生産した計約1万4千台についても、リコールや部品交換を検討すると明らかにした。
2019年1月24日に、2016年に過労自殺した男性社員の代理人が会見し、2015年から2017年にかけて、社員3421人に計7億7千万円の残業代を払っていなかったことが判明した。過労自殺の社内調査で2018年1月までには判明していたが、「(調査結果を)隠すような意図はなく、公表すべきだとは認識していなかった」(広報)としている。1年間にわたり問題を公表しなかったことになり、企業姿勢が問われる事態になっている。
作詞は富士重工業の元社員。作曲は團伊玖磨。富士重工業時代に創立10周年記念として制定された社歌である。
SUBARUへの社名変更に際して「社歌を変えないでほしい」という従業員の声を受けて、社名変更後も社歌として使われることとなったが、富士重工業時代の歌詞には「富士重工」を連呼するパートがあるため、その部分は作詞者の了承を得た上で「わがスバル」に置き換えられた。
トヨタとの資本提携が決まった時、トヨタの豊田章一郎や渡辺捷昭から言われた言葉である。また「これ以上、(トヨタの得意ゾーンの)円に入ってくれば即座にたたきつぶしますから、そのつもりで」とも言われたという。
軽自動車生産からの撤退についてスバルの吉永は「ウチの規模で軽に開発リソースを割くよりも、世界で売れる車に特化する。勇気ある決断でも何でも無い。合理的に考えれば軽は撤退しかなかった」と語っている。
1967年に勃発した第三次中東戦争を受け、国連安保理はイスラエルに対し占領地区の開放を勧告する決議を採択した。世界中の企業がこれに呼応して貿易ボイコットを開始、翌1968年にはトヨタ・日産・本田技研が出荷停止するなど日欧の自動車メーカーも追随した。一方、時を同じくしてラビットスクーターが生産終了することとなり、以前からラビットをイスラエルへ輸入していた業者はこれを受けてスバル360に着目し、さっそく同1968年より取扱い始めた。彼らは翌1969年に現地企業(英)Japanauto Israel Auto Corporating Ltd.を設立、同年からff-1も販売開始。後にレオーネが主力商品となった。こうした経緯から、(非公式にではあるが)富士重工業は海外初進出国として
同国への輸出を開始することとなった。加えて、当時は輸入車の多くが排気量やボディ形状の関係で高額な関税が課せられており庶民向けの選択肢が小型車に限られていた中、小排気量ながら比較的大きな車体を備えたスバル車は同国民の需要にも合致した。この結果、ダイハツ工業が1983年に輸出解禁するまでの10年以上に渡り、同国の乗用車市場において大きなシェアを獲得する結果となった。1988年、三菱自工が現地法人を設立したのを皮切りに輸出再開が相次いだのに加え、90年代には韓国車の輸出攻勢も始まった結果、富士重工業のシェアは非常に小さいものとなっている。なお、本エピソードを下敷きとして、映画「ピンク・スバル」が2010年に製作された。
詳細は「スバリスト」を参照
スバリスト(英語:Subie)は自動車メーカーSUBARUが製造する自動車の愛好家のこと。スバル主義者。
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スバル・レガシィ
レガシィ(LEGACY)は、SUBARU(旧・富士重工業)が生産・販売する乗用車。
スバル・1000から始まる水平対向エンジン、レオーネで実現された4WDセダンという、自社の特色として持っていたエンジン・駆動系を採用することで、販売増へとつながり、国内販売を回復させ、1980年代の倒産危機から当時の富士重工を救った車両である。アルシオーネSVXの販売終了以降はスバルの旗艦車種となった。
ツーリングワゴンをはじめ、アッパーミドルサルーン(当初はスポーツセダンとして展開)のB4、ステーションワゴン型SUVのアウトバックなど、いずれのバリエーションも日本国内外で高い人気を誇ったが、ツーリングワゴンモデルは2014年以降、インプレッサをベースとしたレヴォーグが後継車となっている。
2020年6月22日をもって、セダンモデル「B4」の日本国内向けの受注を終了した。ワゴンのクロスオーバーモデルであるアウトバックは引き続き発売が継続される。
当時の富士重工業は、好調なアメリカ向けの輸出への過度の依存による組織の硬直化が進み、1980年代末には専門誌や新聞等で公然と他社による買収や吸収合併、倒産の危機が報道されるほどの厳しい局面を迎えていた。
倒産危機からの打開を図るべく、開発主管制度の導入、開発部門の連携強化等、大規模な組織改革が断行され、開発コード「44B」として開発が進められたのが、初代モデル(型式BC/BF/BJ(=日本国外向けロールーフワゴン))である。 開発プロジェクトの総括責任者は、中村孝雄(商品企画室 担当部長)。1966年発売のスバル・1000以来、改良を繰り返しながら長年使われてきたプラットフォームからようやく決別し、すべてを完全新設計で作り上げた。
新開発のボディは、くさび形をモチーフに、ブリスターフェンダーが与えられ、各ピラーを黒色処理とすることで、ガラスが連続する航空機のキャノピーを連想させるもの。「アルシオーネ」で用いられたデザインテーマを継承した。デザインワークにはジョルジェット・ジウジアーロが関与したとも言われているが、純然たる社内デザインによる作である。チーフデザイナーを務めた杉本清によればスケッチの段階までジウジアーロとコンタクトがあったものの最終的に社内でデザインが進められたと語っている。特に4ドアセダンではデザイン上の特徴として、リヤサイドウィンドウとクォーターウィンドウの下端を段付処理、ツーリングワゴンではクォーターウィンドウとリアウィンドウの下端を段付処理している。なお、オーストラリア向けであるリバティはセダンのリヤのバンパー造形ならびにプレート位置が異なる。
1991年のマイナーチェンジでセダンの「段付」の修正が検討されたが、大幅なプレス部品およびガラス部品の変更が必要なため断念したと言われている。レオーネと比較して全長で約140mm、全幅で約30mm、ホイールベースで約110mm大型化した(4ドアセダン比)。レオーネに引き続き用意されたツーリングワゴンには、ひとつの伝統として2段ルーフが採用され、最上級の「VZ」にはルーフレールが標準装備された(順次、装着車種拡大)。ただし輸出向けツーリングワゴンには、単に「ワゴン (WAGON)」と呼ばれ、2段ルーフを採用していないモデルもある。
エンジンは新開発の水冷水平対向4気筒エンジン「EJ」型を搭載。「EJ20」のシリンダーブロック、シリンダーヘッドはレオーネの「EA」型と同じく総アルミ合金製で、ペントルーフ型燃焼室、センタープラグ配置、クロスフロー方式である。また、全車に4バルブヘッドおよび電子制御インジェクションを採用している。クランクシャフトは5ベアリング支持で、バルブ開閉機構にはHLA(ハイドロリックラッシュアジャスター)を設ける。さらにクランク角センサー、カム角センサー、ノックセンサーからの信号をECUで学習管理、点火時期を決定する電子制御点火方式を採っている。「RS」グレードに搭載された「EJ20」ターボは220psを叩き出し、これは発表当時のクラス最強であった。
トランスミッションは、FF・4WD共、5速MTと4速ATが用意された。
4WD-5速MT車にはセレクティブ4WDとフルタイム4WDがあり、1.8L「Mi」のみセレクティブ4WDとなり、同排気量の「Ti」を含む他の4WD-5速MT車はフルタイム4WDとなる。「RS」系と「GT」はリヤデフにビスカスカップリングLSDを備える。ATは、油圧多板クラッチ「MP-T」をトランスファーに用いて、前後輪の回転差、車速、スロットル開度等から前後輪へのトルク配分を、前輪:後輪=6:4を基本として、自動かつ無段階に変化させる「アクティブ・トルク・スプリット4WD(ACT-4)」を採用している。
サスペンションはフロントがL型ロアアームを用いたコイル/ストラット、リヤがラテラルリンク2本を配したコイル/ストラットを採用している。また、前後ロールセンターを結んだ「ロールアクシス」軸を最適化することによる「アンチダイブ・アンチスクォット・ジオメトリー」によって、加速・ブレーキング時の車体の姿勢変化を少なくしている。ツーリングワゴンVZには「EP-S」を装備した「VZエアサス」もあった。
テストドライバーのチーフは、車両研究実験部のドライバーである辰巳英治が担当した。テストコースだけではなく世界中のあらゆる道を辰巳が実際に走りこみ、開発チーム全員の意見をまとめた最大公約数ではなく、辰巳ただひとりの高度な見識・技術と感性でハンドリングの最終セッティングが行われた。これは、スバル車の開発として初の試みであり、後年のスバル車の開発思想が大きく変わるきっかけとなった。
こうした転換の背景にあったのは、当時同社の主要株主だった日産自動車が実施していた901運動だった。
販売終了前月までの新車登録台数の累計は約26万8367台
開発主査は土屋孝夫。開発テーマは「継承・熟成」。バブル期に開発がスタートしているにも関わらず、同時期の同格他社車両が一様に拡幅3ナンバー化、大排気量化の道をたどったのに対し、5ナンバー枠サイズと2L以下の排気量を守っている。結果的には「5ナンバーサイズでありながら上級クラスに負けない走りと室内空間を実現している」という評価を得て、そのことが2代目レガシィの最大の特徴となり商業的成功に繋がった。
内外装のデザインには元メルセデス・ベンツのチーフデザイナー、オリビエ・ブーレイが参加し、社内スタッフと共に作業を行った。4ドアセダンは6ライトのウィンドウグラフィックはそのままに、A、Cピラーの黒色処理をやめ、リヤホイールアーチ真上のCピラー根元を太くすることで、視覚的な力強さを表現した。一方でツーリングワゴンは、サイドからリアまで回り込むウィンドウデザインやステップアップしたルーフ形状など成功作となった先代と共通するイメージを採用した。また、フロントグリルにはスバル・ff-1から想起されたという台形デザインが新たに盛り込まれており、この台形グリルは次の3代目レガシィや同時期のインプレッサなどにも波及した。
ボディ・モノコックの基本構造は初代BC/BF型を引き継いでいるが、初代と比較してボディの曲げ剛性およびねじり剛性が向上している。全長は60mm延長されているが、2,580mmから2,630mmへ50mm延長されたホイールベースにそのほとんどが費やされている。Bピラー直後のフロアが延長され、主に後席の居住性の改善に主眼が置かれた。
車両重量は前期型で1,460kg(1993年ツーリングワゴンGT・4AT)なのに対して、後期型でも1,460kg(1996年ツーリングワゴンGT・4AT)と不変であり、ボディサイズの拡大や安全対策の追加に伴う重量増を、ボディの構造や各部材の見直しにより全モデルで30 - 40kg軽量化することにより対応した。
水平対向4気筒DOHCターボエンジン「EJ20G」は、シーケンシャル・ツインターボを採用した「2ステージ・ツインターボ」の「EJ20H」へと進化した。「2ステージ・ツインターボ」は、低回転域ではプライマリー・ターボ(PRI T/C)のみで過給し、高回転域で予め過給したセカンダリー・ターボ(SEC T/C)も連続して(=Sequential)合わせて働くもので、A/R比はBC型「RS」の20に対し、低回転域:12、高回転域:24に設定し、高出力化と全回転域でのレスポンス・アップを狙った。インタークーラーは「EJ20G」の水冷式から、インプレッサと同じ空冷式に変更され、初代の水冷式から4.5kgの軽量化を果たしている。「EJ20H」は、BC/BF型「EJ20G」から一気に出力で30ps、トルクで4.0kg·mの大幅なスペック向上を果たしたが、最大トルク発生回転数が1,000rpm上がり、この過渡領域回転数付近でいわゆる「ターボ切換えの息付き」や「トルクの谷間」が指摘された。
なお、マイナーチェンジで登場した「EJ20R」を搭載したGT-BおよびRSのMT車は、一般量産2.0L車としては世界で初めて最高出力280psに到達した車である。
2.0LターボAT車にアルシオーネSVXで採用されていた「VTD-4WD」を、それ以外のAT車に「アクティブ・トルク・スプリット4WD(ACT-4)」を搭載している。2.0LターボMT車にはリヤにビスカスカップリングLSDを装備している。また、日本のFF車としては初の「TCS(トラクションコントロールシステム)」も用意された。
サスペンションは、初代のフロント/リア:コイル/ストラットの形式を踏襲している。ジオメトリーの変更、フリクションの低減、ストロークの延長などの熟成が行われた。また、リニア・コントロール・バルブ付ショックアブソーバーを全車種に採用し、微小作動領域での減衰力の変化がスムーズになっている。ツーリングワゴン・ブライトン、ブライトン220には、車高調整およびセルフレベリング機能付きのエアサスペンション「EP-S」が用意された。
ツーリングワゴン250Tをベースに車高を上げ、フォグライトを埋め込んだバンパーなどを備えてクロスオーバーSUV(オフロード踏破性とオンロードにおける快適性を兼ね備えた)的性格を与えた「アウトバック」を1995年からアメリカ向けに展開した。これは日本でも1995年8月、「グランドワゴン」として発売された。日本国内における売り上げ比率はそれほど高くなかったが、郊外に未舗装路が多い北米で大ヒット。その後、アウディ、ボルボなど多くの他メーカーから同様のコンセプトを持つ車両が相次いで発売され、ステーションワゴン型クロスオーバーの先駆けとなった。
販売終了前月までの新車登録台数の累計は49万5471台
開発主管は桂田勝。開発コンセプトは「レガシィを極める」。1998年6月に登場。このモデルチェンジでFF車が廃止され、全グレードが4WDとなった。全幅を1,695mmとし、先代に引き続き5ナンバーサイズを維持している。セダンはワゴンに半年遅れて発売され、新たに「B4」のブランド名が与えられた。B4はスポーティグレードのみ(RSK、RS)の設定とするなど、ツーリングワゴンとの差別化が計られ、その後スポーツセダンマーケットの代表車種として認識されるにまで成長して4代目以降に引き継がれている。 1998 - 1999RJCニューカー・オブ・ザ・イヤー(登録車)受賞(ツーリングワゴン・ランカスター)。
エクステリアには、ヘッドランプは上下2灯タイプを採用、上級グレードにはHIDランプが採用された。内装もアメリカのハイエンド・オーディオブランドであるマッキントッシュ製オーディオがメーカーオプションで設定された。また、高い衝突安全性能が重要視される時代に登場した本モデル(新環状力骨構造の採用)だが、自動車事故対策センター(現在の独立行政法人自動車事故対策機構)が1998年と1999年にテストした衝突安全性能試験では格上の3.0L級高級車両を凌ぐAAA(トリプル・エー)の成績を運転席、助手席共に参加車両中で唯一獲得した。なお、モデル途中からツーリングワゴンのルーフレールは埋め込み式になった。
BD/BG型に引き続き、EJ20型エンジンおよびEJ25型エンジンを搭載。ターボモデルは先代に引き続き「2ステージツインターボ」を採用。また、ランカスター(先代のグランドワゴンから改名)用に3.0LのEZ30型エンジンが採用された。その後EZ30型はB4とワゴンにも搭載された。EZ30型を搭載したB4の「RS30」は富士重工としては初の「大排気量セダン」となった(EZ30型は、アルシオーネSVXの3.3LエンジンであるEG33エンジンがベースではなく、前後長がより短い新設計であり、このエンジンを積む前提でボディのエンジンルームが広く設計されていた。スバル1300G以来の、幅の狭いクランクシャフトベアリングが使用されている)。
リアサスペンションがマルチリンク式に変更され、ストラットタワーの張り出しをなくすことで、ラゲッジスペース(B4はリアトランクルーム)の最大容量は先代よりも大幅にアップしている。前モデルに引き続きビルシュタイン製ダンパーも上級グレードに採用された。
プレミアム性の高まったこのモデルでは、ポルシェデザインが監修したエアロパーツを纏った限定モデル「BLITZEN(ブリッツェン)」は、2000年より毎年限定生産された。専用の鮮やかな赤いカラーを施されたものは数が少なく、5速マニュアルは特に希少とされる。
またモデル末期には開発主査・桂田勝の強い意志によりSTIによるスペシャルチューニングを施した「レガシィS401 STi version」が400台限定で販売された(のちに桂田はSTI社長に就任)。エンジンは熟練工による手組み、バランス取りなどが施されており、これに伴いヘッドカバーも黒からシルバーへと変更され、シリアルナンバーが入っている。6,400rpmで293psを発生させ、4,400〜5,600rpm の幅広い回転域で35.0kg·m のトルクを発生した。車両形式も変更されGH-BESとなり、車体番号はBES-002001からとなる(SはSTiの意、Sが使われたのが最初で最後となる)。またGD型インプレッサWRX-STIで採用される6速MTを搭載し、ブレンボ社製のブレーキやS401専用パーツなどが与えられた。286台で生産を終了。
「ランカスター」を基にした4ドアピックアップトラック「Baja(バハ)」という派生モデルも存在する。2002年に登場したこの車種は、北米でのみ生産、販売が行われ、BL / BP型へのモデルチェンジ後も、2006年まで継続生産された。ちなみに3代目レガシィ系列でターボエンジンが設定されたのは北米市場ではバハのみである。
BE / BH型発売直前の1998年4月23日にはアメリカ・コロラド州の公道での速度記録に挑戦し、1kmの区間平均速度で270.532km/hを達成、自らの持つ「ステーションワゴン多量生産車無改造部門」における世界速度記録を更新した。
販売終了前月までの新車登録台数の累計は25万6849台
開発責任者であるプロジェクトゼネラルマネージャーは清水一良。欧州市場への対応、衝突安全性能向上のため、ボディの全幅を先代より35mm増やしている。これによりボディは3ナンバーサイズとなった。このサイズ拡幅とともに先代に比し質感を増した内外装のデザイン、ATの5速化等によって、プレミアム性をより一層高めたモデルへとした。
このモデルより生産が日本とアメリカの2ヵ国体制となる。ボディ剛性の向上、安全装備の充実、ターボ車および6気筒車のATの5速化を図りながら、アルミニウム等の軽量パーツや高張力鋼板を各所に導入し、先代と比してグレードによっては100kg近くの軽量化を達成している。3ナンバー化によって対衝突設計の自由度が高まったことなどから軽量化を実現した。また、車体幅を増加で前輪舵角が確保できるようになったため、最小回転半径は5.6m(BE/BH型)から5.4mに小さくなった。
2代目、3代目と低速・低回転時のトルク確保のために採用していた2ステージ・ツインターボだが、加速が息をつくこと(ターボ切換えの息付き、トルクの谷間)を指摘され続けていた。本モデルでは初代以来のシングルタービンが採用されたが、ツインスクロールターボによって、わずか2,000rpmで30kg·mを超える最大トルクを発生させ、高回転仕様の水平対向エンジンとシングルタービンの弱点を克服した。また、ドライブ・バイ・ワイヤ機構「エレクトロニック・スロットル・チャンバー」を採用し、電子制御式スロットル仕様となった。これらにより以前からのEJ20型エンジンもパワーに加えスムーズさや低燃費をも兼ね備えた。また、既にインプレッサのSTIモデルで先行採用されていた「等長等爆エキゾーストマニホールド」を採用。これにより水平対向エンジンの宿命と言われた「排気干渉」を防ぐとともに、燃焼効率の向上を果たした。なおインテークマニホールドを樹脂にすることで複雑な形状の成型にも成功した。
欧州では、2006年にドイツ向けを中心とするディーラーオプションとしてLPGとのバイフューエルとなる「エコマチック」が投入された。取り扱い全車種にLPGバージョンを設定したのは欧州スバルが最初である。
2006年5月のマイナーチェンジにあわせ、一部グレードのエンジンのシリンダー研削にELIDホーニングを採用する。これにより1気筒あたりの加工時間がほぼ半減されたほか、シリンダー壁面の面粗度や加工精度の向上により、同排気量の他社製エンジンに水をあけられている燃費改善の一助とする。
2008年には量産車用としては世界初となる水平対向ディーゼルターボ仕様も欧州向けに発売されている(レガシィの他、フォレスターにも同エンジンが追加された)。2.0Lの排気量から150psの最高出力と35.7kg·mの最大トルクを発生。排ガス規制はEUのユーロ4に対応している。
STIによる限定コンプリート車として2007年に「tuned by STI」、2008年に「S402」が発売された。どちらも元富士重工業車両実験部のチーフテストドライバーである辰己英治によって纏め上げられている。「tuned by STI」は専用のビルシュタイン社製ダンパー、フレキシブルタワーバーなどを採用したほか、タイヤサイズが変更 (215/45R18) され600台の限定販売。S402は、エクステリア および インテリアに専用装備が採用され、235/40R18というタイヤを収めるためにフロントには片側20mm拡幅されたブリスターフェンダーが装着された。パワーユニットは輸出用の水平対向4気筒2.5Lターボを改良し搭載。tuned by STI2007で採用されたフレキシブルタワーバー(フロント)のほか、新たに採用されたフレキシブルロアアームバーとフレキシブルフロアバー(リヤ)により、応力を「いなす」セッティングが施されている。また、BBS製ホイールや、インプレッサ・タイプRA-Rで採用されたブレンボ製ブレーキディスクと対向6ポットモノブロック・キャリパーが採用され402台の限定生産とされた。
B4の2.0GTが高速道路交通警察隊用のパトカーとして2007年に国費導入されており、これは近年の警察車両では珍しいMT車となっている。
レガシィは過去3回のフルモデルチェンジを4 - 5年で行ってきたが、スバル初のミニバンであるエクシーガの開発があったことと、BP/BL型の完成度の高さから安定して人気を保っていたためか、この代は約6年にわたって販売が続けられ、歴代の中でも最長のモデルライフとなった。
先述したとおりこの型式から日本国内向けモデルは全て等長エキゾーストマニホールドを採用したため、先代まで続いた独特な排気音(通称ボクサーサウンド)は消滅してしまったが、限定モデルのアウトバック2.5XTのみ不等長エキゾーストマニホールドとシングルスクロールターボの組み合わせを採用した日本国外向けEJ25ターボエンジンを転用したため、ボクサーサウンドを聞くことができる。
販売終了前月までの新車登録台数の累計は28万8889台
2009年春に開催されたニューヨークオートショーにて5代目となる新型レガシィのプロトタイプが公開された。プロジェクト・ゼネラルマネージャーは、2009年4月より富士重工業執行役員・スバル商品企画本部長、STI社長兼任の日月(たちもり)丈志。
北米からの要望に応え、先代に比べ車体を大きくしたことで、室内長・室内幅・室内高が広くなり、十分にゆとりがある室内空間を確保。最小回転半径5.5mと取り回しの良さも実現している。車体の大型化にあたっては、標準ボディを車幅1,780mmで設計し、北米仕様およびアウトバックはフェンダーの拡張で1,820mmとしている。
一方で、各グレードにおいて先代より約100kgの重量増となった。先代に引き続き、生産は日本とアメリカ合衆国の2ヵ国体制である。また、電動パーキングブレーキの採用(インパネ右端に装備、6速MTを含む全車に採用)でハンドレバーがなくなり、センターコンソールのレイアウトに余裕を持たせた。レオーネ以来の伝統であったサッシュレスドアが廃止され、一般的な窓枠(サッシュ)付きのドアになったことでドアの剛性アップと開口部の拡大に繋がっている。ドアノブもこれまでのフラップ式からバーグリップ式に変更された。ツーリングワゴンにおいては同じくレオーネ時代からの伝統であったDピラーのブラックアウトが廃止され、ボディ同色とされた。また、エンジンフードはコストを削減するためアルミ製ではなく鋼板製となった。
エンジンは4代目モデルから大型化し、2.0Lは廃止され、2.5L水平対向4気筒SOHCエンジン、2.5L水平対向4気筒DOHCターボエンジン、アウトバックのみに設定する3.6L水平対向6気筒DOHCエンジンの3種類とした。2.5LのSOHCエンジンには縦置きパワーユニットを搭載する量産四輪駆動車としては世界初のチェーン式のバリエーター(主変速機機構)を採用したCVT「リニアトロニック(6速マニュアルモード付)」を新たに設定し、オーバードライブ走行時の燃費向上や、パドルシフトの採用で0.1秒以下の素早い変速を実現した。
このモデルから、MT車が2.5Lターボ車(2.5GT S Package)のみの設定となった。
シリーズ全グレードオーディオレス(日本国内仕様に限り)であるが、メーカーオプションのHDDカーナビゲーションシステムについては、高精彩8型VGAワイド液晶ディスプレイに、高速CPUと大容量HDDの採用により、快適な操作性を実現。またセットとして、オーディオリモートコントロールスイッチやリアビューカメラ、AV入力端子(後期型はUSBとミニジャック端子に変更)などが装備された。またメーカーオプションのナビ選択時に2種類のオーディオから選べるようになる。
米国IIHS(道路安全保険協会)は、2009年8月27日、スバル『レガシィ』(日本名:『レガシィB4』)と『アウトバック』(日本名:『レガシィアウトバック』)を「2009トップセーフティピック」に選定した。前面衝突の各項目、側面衝突、ボディ構造での各項目に置いて全て「優」の評価となった。
2010年1月21日 スバルコリアを通じて韓国で発売を開始することを発表(車名は同じ。韓国語:레가시、発音的にはレガシ)。同年4月末より発売を開始。なお、投入されるのはB4のみで韓国内においてツーリングワゴンは人気薄のジャンルであるため投入されない(同様の理由でBMWやメルセデス・ベンツ、アウディなどもワゴンモデルは韓国未導入)。ただし、ツーリングワゴンと共通のボディを有するアウトバックは投入される。
ヨーロッパ仕様においては、2.0LのDOHC自然吸気ガソリンエンジン、2.5LのSOHC自然吸気ガソリンエンジン、2.0LのDOHCディーゼルターボエンジンが設定されており、MT車のラインナップが豊富である。
6代目の日本仕様はツーリングワゴンが廃止され、4ドアセダンの「レガシィB4」とクロスオーバーSUVの「レガシィアウトバック」の2ボディ構成となった。なお、海外仕様は先代に引き続き「レガシィ」(豪州市場のみリバティ)の名称で販売される。なお、本項では、「レガシィB4」について述べる。
フロントはバンパー一体型ヘキサゴングリルとホークアイヘッドランプによってスバル車のファミリーフェースを構築し、リアコンビランプはヘッドランプと共通のモチーフを採用。また、塊感のあるフォルムとのびやかなキャラクターラインにより、たくましさと機敏な走りの両面を表現した。
ボディサイズは、先代に対して全長は+50mm、全幅は+60mm拡大された。なお、全高は-5mm、ホイールベースは先代と共通の2,750mmである。
インテリアでは、筒型2眼メーターを採用し、メーター中央にEyeSightやSI-DRIVEの作動状況を表示する大型カラー液晶マルチインフォメーションディスプレイを搭載。「Limited」はメーターリング照明も装備した。また、ダッシュボードをソフトパッド化し、クッション厚を増したアームレストを採用する等、インテリアの品質も向上。内装色はブラックとアイボリーの2色展開とした。さらに、日本仕様のスバル車では初採用となるハーマン・カードンサウンドシステム&SDナビゲーションをメーカーオプション設定した。
Aピラーの付け根を前出しすることでキャビンを拡大するとともに、ドアミラーのショルダーマウント化やフロントパーテーションガラスの採用により、ドアミラー前方の死角を減らし、前方視認性を向上。また、前席はシート間距離を広げ、ドアトリム構造を見直すことで着座時のスペースを拡大。後席も前後席間距離の拡大により足元スペースを拡大した。
エンジンは先代から継続搭載される水平対向4気筒2.5L「FB25」型のみとなり、2.0Lターボエンジン「FA20」型は廃止された。また、北米市場を中心とした海外仕様では、先代に引き続き、水平対向6気筒3.6Lエンジン「EZ36」型を設定している。
「FB25」型は、形式名こそ先代モデルと共通だが、約8割の部品を新設計とした改良型である。吸排気系、燃焼系を中心に大幅な進化を織込むことで、実用域での扱い易さや軽快な走りを維持しながら、燃費性能の向上を果たしている。また、チェーンの駆動音やピストン、オルタネーターなどの作動音を低減することで静粛性を高めるとともに、エンジンフィーリングの上質感を高めている。さらに、吸気音をチューニングし、心地良いエンジンサウンドを実現している。最高出力は、+2PS(+2kw)の175PS(129kw)とわずかに向上。最大トルクの数値は24.0kgf・m(235N・m)で、先代から変化はない。
リニアトロニックにも改良が施され、アクセル開度によって変速特性を切り替えるオートステップ変速制御や6速マニュアルモードのパドルシフトを採用。また、トランスミッション内部のフリクション低減により燃費性能を向上し、ダイナミックダンパーなどを追加することで振動騒音も低減した。
ボディやサスペンション取り付け部の剛性を高めることでサスペンション部がしなやかに動く質感の高い走りを実現し、サスペンションはスタビライザーの改良やショックアブソーバーの減衰特性を最適化し、「Limited」には新バルブの採用とフロントストラットシリンダ径拡大により、ダンパーのピストン速度域に応じた減衰特性の設定が可能となる「スタブレックス・ライド(STABLEX-Ride)」を採用。コーナリング時の安定性と快適な乗り心地を両立させている。
ステアリングは小型・軽量・高出力性能のコントロールユニットを内蔵した電動パワーステアリングを採用。ブレーキは、高応答性ブースターを採用するなど、応答性、コントロール性を向上させている。
安全性能では、先進安全技術であるEyeSightを大幅に進化。より広角かつ遠方まで補足し、カラー認識も実現したEyeSight(ver.3)に発展。操舵支援機能であるアクティブレーンキープをはじめ、AT誤後進抑制制御、ブレーキランプ認識制御などの新機能を追加したほか、プリクラッシュブレーキや全車速追従機能付クルーズコントロールの性能向上を図っている。
また、旋回時のトレース性を高めるアクティブトルクベクタリングを新採用したほか、ホットプレス成形材をはじめとする高張力鋼板の採用範囲を拡大することで、軽量化を図りながら全方位からの衝突に対してトップレベルの安全性も両立した。
2019年2月に発表され、同年秋から販売を開始した。
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| 車種 | エンジン | タイヤ | 燃費 | 中古車 | 評価•レビュー | ボディサイズ | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
レガシィB4
2.5 Bスポーツ 4WD
2019年11月から 販売中 2,850,000円 セダン |
エンジン:
水平方向4気筒DOHC 排気量: 2498cc 型式: DBA-BN9 馬力: 175ps トルク: 235(24)/4000 ミッション: CVT |
前輪:
225/50R18 後輪: 225/50R18 駆動: 4WD 最小回転: 5.6m タイヤサイズ |
燃費(JC08):
- 燃費(10•15): - 燃料: レギュラー 実燃費: 8.08から 12.17 |
269万円から
269万円 1台 買取価格相場 車を売る |
外観:
3点 内観: 3点 スペック: 4点 エンジン: 点 乗り心地: 4点 燃費: 3点 価格: 4点 |
高さ:
1500 車幅: 1840 全長: 4800 定員: 5人 |
|
レガシィB4
2.5 リミテッド 4WD
2019年11月から 販売中 3,000,000円 セダン |
エンジン:
水平方向4気筒DOHC 排気量: 2498cc 型式: DBA-BN9 馬力: 175ps トルク: 235(24)/4000 ミッション: CVT |
前輪:
225/50R18 後輪: 225/50R18 駆動: 4WD 最小回転: 5.6m タイヤサイズ |
燃費(JC08):
- 燃費(10•15): - 燃料: レギュラー 実燃費: 8.08から 12.17 |
円から
円 台 買取価格相場 車を売る |
外観:
3点 内観: 3点 スペック: 4点 エンジン: 点 乗り心地: 4点 燃費: 3点 価格: 4点 |
高さ:
1500 車幅: 1840 全長: 4800 定員: 5人 |
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レガシィB4
2.5 4WD
2018年10月から 販売中 2,800,000円 セダン |
エンジン:
水平方向4気筒DOHC 排気量: 2498cc 型式: DBA-BN9 馬力: 175ps トルク: 235(24)/4000 ミッション: CVT |
前輪:
225/55R17 後輪: 225/55R17 駆動: 4WD 最小回転: 5.6m タイヤサイズ |
燃費(JC08):
- 燃費(10•15): - 燃料: レギュラー 実燃費: 8.08から 12.17 |
円から
円 台 買取価格相場 車を売る |
外観:
3点 内観: 3点 スペック: 4点 エンジン: 点 乗り心地: 4点 燃費: 3点 価格: 4点 |
高さ:
1500 車幅: 1840 全長: 4800 定員: 5人 |
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レガシィB4
2.5 リミテッド 4WD
2018年10月から 販売中 3,000,000円 セダン |
エンジン:
水平方向4気筒DOHC 排気量: 2498cc 型式: DBA-BN9 馬力: 175ps トルク: 235(24)/4000 ミッション: CVT |
前輪:
225/50R18 後輪: 225/50R18 駆動: 4WD 最小回転: 5.6m タイヤサイズ |
燃費(JC08):
- 燃費(10•15): - 燃料: レギュラー 実燃費: 8.08から 12.17 |
円から
円 台 買取価格相場 車を売る |
外観:
3点 内観: 3点 スペック: 4点 エンジン: 点 乗り心地: 4点 燃費: 3点 価格: 4点 |
高さ:
1500 車幅: 1840 全長: 4800 定員: 5人 |
販売期間:2018年10月から販売中
773件のスバルレガシィB4の中古車
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