リンカーン・タウンカー
リンカーン・タウンカー
タウン カー (Town Car)は、フォードが製造、リンカーンブランドで販売していた自動車である。
'タウンカー'の名称は1959年のコンチネンタル・マークIVのトップグレードとして登場したのが初めてで、その後1980年まで使用されたのち、1981年に独立したモデル名となり以降リンカーンブランドの、すなわちフォード社のフラッグシップ・モデルの座を務めた。'タウンカー'とはの英訳にあたり、共に1920年代の乗用車によくみられた運転席部分には屋根やドアがないタイプのショーファーカースタイルのことである。
タウンカーの車体サイズはアメリカ製セダンの中でも最大の部類のフルサイズに属する。オイルショック以降、キャディラックやクライスラーなどの競合車種の多くが、ダウンサイジングとFF化を敢行した中、フォードだけは、昔ながらのはしごフレームとFRレイアウトを固持した。このシャシはフォード・クラウンビクトリア、マーキュリー・グランドマーキーと共用のパンサープラットフォーム () と呼ばれるもので、フォードのハイエンド車種で30年以上の長きにわたって使われ続けたが、技術的には決してハイエンドではなく、登場当時ですら旧態化のそしりは免れなかった。重量、ねじり剛性、振動・騒音など、操縦安定性と居住性のすべての面でモノコック構造に対して劣勢となるが、アメリカの保守層(米保険会社の調査では、共和党支持者とほぼ一致するとしている)には根強い人気があり、結果的に、古き良き時代のアメリカ車の乗り味を後世に伝える存在となっていたほか、フレームと車体が別体であることからストレッチリムジンや霊柩車の改造には向いており、そのベース車両としての需要は多い。共和党のジョージ・H・W・ブッシュ政権時代は大統領専用車にもなった。
一方、欧州車や日本車を好む顧客(同様に民主党支持者との表現)には、当時フォード傘下であったジャガーがエンジニアリングを担当したDEWプラットフォーム()のLSなどで応えていた。
過酷な業務使用などを想定しており、耐久性や補修の容易性を考慮した設計がなされており、北米では60万km以上営業運転に使われることが多い。なおエンジンだけは1990年にライバルに先駆けて従来のOHVからSOHCのフォード・モジュラーV8に切り替えている。
この車種の組み立てはフォード・モーターのミシガン州ウィクソム工場で行なわれていたが、2007年にフォードはリストラの一環として、同工場を閉鎖。その後はクラウン・ヴィクトリア、グランド・マーキーを生産していたカナダオンタリオ州のセントトーマス工場に移管されたが、そのセントトーマス工場も2011年8月29日に最終車両がラインオフし静かにその幕を閉じた。
1920年代、一般的にはリムジンに用いられるボディデザインであった。その語源は乗客席に固定された屋根を備え、屋根がない運転手用コンパートメントを特徴とする馬車であった。その時代には後部屋根固定式の馬車がリムジンとなり、フランス語の「ド・ヴィル(de Ville)」という言葉は「町中のための(タウンユース)」という意味を持っていた。1922年、エドセル・フォードは父親のヘンリー・フォードのために特注のリンカーン・Lシリーズのタウンカーを購入した。
その後、1950年代から1990年代までリンカーン・コンチネンタルの主要なライバルであったキャデラックが「セダン・ド・ヴィル」をモデル名として使用していた。
1959年、リンカーンは既存のコンチネンタルのラインアップにタウンカーとリムジンという2つのフォーマルセダンを追加した。両車ともピラー付きの構造で内装にはブロードクロスとスコッチグレインレザー、ディープパイルカーペットを採用した。オプションはなくエアコンなどの装備はすべて標準装備で、リムジンの前席と後席の間にガラスの仕切りが付いていた。
コンバーチブルを含む他のコンチネンタルで採用されていたリバースラント・ルーフラインの代わりに、ノッチバック・ルーフラインを採用し重厚なパッド入りのビニール製トップとインセットのリアウィンドウを備えた。ルーフラインの変更はスタイリングをやや抑制的にするためにとどまらず機能的な目的もあった。 後席の足元を広くするためにホイールベースを変更せずに後席の位置を変更したのだ。その後数年の間にインペリアルとキャデラックはそれぞれの最上級車(ルバロンとフリートウッド・シックスティスペシャル)のルーフラインを、よりフォーマルでリムジンのようなデザインに変更した。
フォード・モーター・カンパニーが生産した車種の中で最も希少な物のひとつである。1959年から1960年にかけて214台のタウンカーと83台のリムジンが生産されたが、色はすべて黒塗りであった。
1970年、タウンカーの名称はトリムパッケージのオプションとして復活し、レザーシートやより深いカットパイルカーペットなどが用意された。1971年にはリンカーン創業50周年を記念した1,500台のコンチネンタル・ゴールデン・アニバーサリー・タウンカーが限定生産された。1972年にはリンカーン・コンチネンタルのモデルラインのサブモデルとしてタウンカーが登場した。ほとんどの場合ルーフのリア半分をで覆っていたが、オプションですべてをビニールで覆うフルレングス仕様も用意されていた。ルーフ上の盛り上がったモールディングのBピラーにコーチランプを組み込んだ。1973年にリンカーンはコンチネンタル・タウンカーの2ドアモデルを発表し、タウンクーペと名付けた。タウンカーと同様、タウンクーペにも標準的なビニールルーフが装備された。
1975年のリンカーンのルーフラインの改良の一環として、タウンカーにマークIVクーペの楕円形のオペラウィンドウを採用、タウンクーペには大きな長方形のオペラウィンドウが与えられた。
コンチネンタル・タウンカーは同部門の成功を証明しマークIVやマークVが社内的にはリンカーンとしてのブランド名ではなかったため、1970年代で最も人気のあるリンカーン車となった。
1980年、リンカーンはフルサイズ車を発売したアメリカ最後のブランドとなった。デザインの変更によりリンカーン・コンチネンタルは北米最大のセダンから、キャデラックよりも小さなエクステリアを持つデザインへと移行した。コンチネンタル・タウンカーはリンカーンのモデルレンジのトップトリムとして復活し、は独自のダウンサイジングでを導入した。 外観にリンカーンのバッジは付けられていないが、マークVIは開発コストと生産コストを削減するためシャシーとボディの大部分をコンチネンタルと共有していた。
リンカーンが抱える問題はモデルラインをダウンサイジングして生産に移る事だけではなく、 コンチネンタル、コンチネンタル・タウンカー/タウンクーペ、マークVIのモデルラインの重複はマーケティングの観点から見ると壊滅的な物であった。1980年初頭に売れ行きの悪かったの生産が中止された後、リンカーン=マーキュリーのディーラーは同じショールームで幅広い価格帯の非常に類似した3つの車種を販売していた。ヴェルサイユの廃止はリンカーンがフルサイズセダンセグメントのみの状況に戻った事を意味し、ヨーロッパブランドの高級車に対抗する術は何も残っていなかった。
1981年、リンカーンはフルサイズモデルのラインアップを3つの車種から1つの車種に絞り、フォード・モーターの3つの部門全体で複数年にわたる移行を開始した。1981年にはコンチネンタルが休止され1982年にはミッドサイズセダンに変更された。マークVIは1983年にモデルサイクルを終了し、1984年のはフルサイズセグメントから撤退し、マークシリーズは異なるセグメントに移行した。
前年の1980年まではコンチネンタル・タウンカーというコンチネンタルの1グレードだったものが、1981年からタウンカーとして独立した。
初代の登場から9年目、リンカーンブランドの客層若返りの狙いも込めて内外装を大きく変更。
この2代目は販売面で大きな成功を収め、1990年代の初頭にアメリカ市場のフルサイズ・セダンで一番の売れ筋モデルとなった。
1998年、フォード社はフォード・クラウンビクトリア、マーキュリー・グランドマーキーと共にフルサイズセダン3兄弟のモデルチェンジを実施し、新しいタウンカーが誕生した。3代目タウンカーの外観はそれまでの直線的なデザインから一変し、曲線的なボディラインに変更された。1970年代から続いていたロールス・ロイス風のフロントグリルやCピラーのオペラ・ウィンドウは廃止され、フロントグリルは同年に登場した同ブランドの高級SUVであるナビゲーターに近いデザインとなった。
内装も大幅に変更され、ドア周り・パネル類・操作スイッチ類・ラジオ等が刷新された。新たにデザインされたダッシュボードやドアパネルには、更に木目調が追加された。パワーシートの操作スイッチ類は、ドアパネルに移行された。リンカーンのエンブレムは、ドアパネル及び座席の背に残される事となった。なお、フロントの座席もベンチシート式が採用されている為、一般的なセダンとは異なり、乗車定員は6名である。
1998年
1999年
2000年
2001年
最高級車らしく、フランスの宝石商のカルティエや、アメリカのファッションデザイナーのビル・ブラス、イタリアのファッションデザイナーのエミリオ・プッチなどと提携し、これらのデザイナーやブランドが内外装のデザインに手を加えた「デザイナー・シリーズ」が存在し、後にグレード名として採用された。
中国では、第一汽車が、リンカーン・タウンカーのバッジを変えたフラッグシップ・モデル「紅旗・CA7460(旗艦)」を1998年からライセンス生産し、第一汽車が次世代の公用車にトヨタ自動車(紅旗・HQ3)を選定してフォードとの提携が解消される2005年まで生産された。
日本では近鉄モータース→クインランド・カーズ→フォーピラーズが正規輸入しており、コンチネンタルマークVIIの取り扱い終了以降、フォード・ジャパンが3代目ナビゲーターを導入するまで、唯一のリンカーン・ブランドの車種であった。
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