シトロエン
シトロエン
シトロエン ()は、フランスの大手自動車メーカー。現在はPSA・プジョーシトロエン・グループの一企業である。
いち早い前輪駆動方式の採用や、窒素ガスを気体ばねに用いて高圧油圧制御する独自のサスペンション機構「ハイドロニューマチック」の開発をしていたことで知られる。
第一次世界大戦終結直後の1919年、ダブルヘリカルギア(やまば歯車)の製造と大砲用の砲弾製造で財を成したアンドレ・シトロエン(André Citroën)が、ヨーロッパにおける自動車の大衆化を目指し、フランス版フォードとなるべく設立した企業である。フランスの自動車メーカーの中では後発組といえる存在であった。最初の工場は軍需工場を転用したパリのセーヌ川・ジャヴェル河岸の工場で、現在その場所は「アンドレ・シトロエン公園」になっている。
エンブレムは「ヘ」状の2つのクサビ形を重ねたもので「ドゥブル・シュヴロン (double chevron)」または「ダブルヘリカルギア」と呼ばれる。これはアンドレ・シトロエンが経営者としてスタートするきっかけになった歯車「シェブロン・ギア(やまば歯車)」の歯形をモチーフにしたものである。
流れ作業方式による小型車・中型車の大量生産で成功を収め急成長したが、やがてアンドレのワンマン経営による過剰投資がたたり、1934年に経営危機に陥り、この際タイヤメーカーのミシュランの系列会社となり、同社の市販車は工場出荷タイヤにミシュラン製タイヤを指定、装着している。
第二次世界大戦後も先鋭的な自動車開発で世界的に注目される存在であり続け、1960年代にはイタリアのフィアットやマセラティなどとも提携するが、1970年代には再び経営困難な状況となり、結局1976年からは同じフランスの競合自動車会社プジョーに主導されるかたちで、企業グループPSA・プジョーシトロエンの傘下となっている。それに伴いプラットフォームやエンジンをプジョー車と共通化するようになった。
21世紀初めの現在でもプジョー車とのコンポーネンツ共用の基本方針は変わっておらず、また一時期のような独善的なまでの個性は抑えられるようになってきてはいるものの、依然として系列メーカーであるプジョーとは異なった個性を持つブランドとして存続し続けている。
伝統として、フランス大統領の就任パレードに使用するオープンカーの提供を続けている。その車両は既存の車体を利用したワンオフモデルである。
新しい技術をいち早く採用することで知られ、それは「10年進んだ車を20年間作り続ける」と形容された。
創業にあたり、ジュール・サロモンの設計で1919年に発売されたタイプAは最初の生産車であると共に、ヨーロッパで最初の大量生産方式によって製造された自動車であった。1922年に発売された2人乗り5馬力C型車()、通称5CVは543キログラムの軽量ながら856ccのエンジンと3段切り替えギアボックスを搭載。最高時速は60キロメートル。価格は3900フラン。レモンイエローの車体と黒いホイールという塗装の組み合わせと完璧なプロポーション、それに運転性のよさが世界の小型車の歴史に新しい時代を画することになった。また、運転のしやすい5CVの登場によって、フランスでは初めて女性に開放されたといわれる。1925年に発表されたB12はヨーロッパで最初のオール鋼製ボディを持った大量生産車である。また、現代では当然となった4輪ブレーキもこの時に導入した。1932年にはモノピースという溶接による一体ボディ構造の8/10/15を発表する。このように、1930年代前半までは、アメリカ合衆国で実用化された進歩的自動車技術をいち早く咀嚼してヨーロッパに導入するという姿勢が顕著なメーカーであった。
そのベクトルを転じ、強烈な独自性を発揮するようになったのは1933年にヴォワザン社出身の技術者アンドレ・ルフェーブルが入社してからである。一大転機となったのは彼の主導による設計の「7CV」・通称「トラクシオン・アバン」が開発されたことによる。前輪駆動(FF)やモノコック・ボディ、トーションバー・スプリングなどを、いち早く採用し、1934年に発表されると大きな反響を呼び、同社の「先進性」を市場に印象づけた最初の車となった。しかし同車の短期開発と新工場建設により、会社の経営破綻とアンドレ・シトロエンの経営撤退を招いた。
1955年には、金属スプリングの代わりに気体ばねと高圧オイルを用いる独創的なハイドロニューマチック・サスペンションを装備した、 DS を発表。車高調整とダンパーに使われたオイルは、サスペンションだけに留まらずパワーステアリングやブレーキ、ペダルレスでのクラッチコントロールや遠隔操作でのギヤチェンジにも使われた。この「10年進んだ車」は、果たしてその後「20年間作り続け」られた。
他にも「走る物置」「フランスの民具」とまでいわれ、40年以上も生産されたユニークな経済車「2CV」をはじめ、ユニークで独創性に満ちた自動車を多数開発し、世に問うてきた。
創業者のアンドレ・シトロエンは万事派手好きで、広告戦略にも意を砕いたことで知られる。1925年から1936年までの11年間エッフェル塔は「CITROËN」の文字で飾られた(「翼よ、あれがパリの灯だ!」で知られるチャールズ・リンドバーグの大西洋単独無着陸飛行も、この期間の中に入る)。この電飾文字は40km離れた場所からも視認でき、当時のエッフェル塔の代名詞でもあったという。また、飛行機でパリ上空に「Citroën」と描いたこともあった。
ニューモデルを発表すると、同時に生産車の精巧なミニチュアカーを作り販売したが、これは将来の顧客である子どもへのアピールであった。当時の同社の威勢は頂点を極めており、「赤ん坊が最初に覚える言葉はパパ、ママ、そしてシトロエンだ」と豪語するほどであった。
広告においては戦後もセンス溢れる活動を展開し、1965年ルーブル美術館主催のアート展が開かれるなど、芸術的にも評価を受けている。
長きに渡り西武自動車販売が行なっていたが、1980年代後半、シトロエン本社が日本のメーカー各社に持ちかけた販売提携に手を挙げたマツダを加え、三社によって設立されたシトロエン・ジャポン(第1次)が1989〜1998年頃まで販売を行っていた(バブル崩壊により頓挫)。
2001年より第2次のシトロエン・ジャポンが本社100%出資で立ち上がり、2008年4月にプジョー・ジャポンと統合、プジョー・シトロエン・ジャポンとなった。同社は2020年2月1日に、Groupe PSA Japanと社名変更している。
※は2020年10月現在、日本市場に導入されているモデル。
2015年にシトロエンから独立して単独のブランドとなった。詳細はDSオートモビルズを参照。
(1948年以降発表モデル)
(1947年以前発表モデル)
レース部門のシトロエン・レーシングの活動は伝統的にラリー系を中心として行われ、参戦した全てのビッグカテゴリでチャンピオンを獲得した経歴を持つ。1989〜2000年までは『シトロエン・スポール』を名乗っていた。
1950年代からDSや2CVでラリーに参加し、ラリー・モンテカルロやツール・ド・コルスで勝利を挙げた。世界ラリー選手権 (WRC)には1986年のグループB時代に参戦した後一時活動を休止していたが、1998年にF2キットカーのクサラで復帰。二輪駆動車でありながら、ワールドラリーカー(WRカー)勢を破って二度総合優勝を飾っている。2001年にはWRカーを開発し、WRCクラスへの参戦を再開。フランス人の天才セバスチャン・ローブを擁して2004年から2012年までドライバーズタイトル9連覇を達成した。マニュファクチャラータイトルも同期間中2006・2007年を除いた全てで獲得している。しかしローブの離脱以降は勢いを失い、2019年を持って撤退。シトロエンの歴代WRC勝利数102回は全メーカー中トップである(うち79勝はローブによる)。
下位クラスでは、JWRCでもマルチメイク時代の勝利数・タイトル数はスズキを凌いで1位である。ワンメイク化後も2013年から2016年までDS3 R3Tがワンメイク車両に指定されていた。またWRC2/WRC3でも、プライベーター向けにグループR仕様のマシンを販売しており、WRCから撤退したあとの2020年以降も、PHスポーツを支援する形でWRC2/WRC3へのセミワークス参戦は続けられている。
1990年代にはパリ・ダカール・ラリーを中心とするラリーレイドにもZXで参戦し、1991年にアリ・バタネンが総合優勝を果たす。さらに1994年 - 1996年にはピエール・ラルティーグが総合3連覇を達成するなど、同一グループのプジョーとともに三菱自動車(ラリーアート)にとって最強のライバルとして立ちはだかった。
2014年からはローブと共に世界ツーリングカー選手権(WTCC)にワークス参戦を開始。サーキットレースの世界選手権にエントリーするのはこれが初めてとなった。マシンは新興国向けセダンのC-エリーゼ。デビュー年からホンダを圧倒する速さを見せ、2014年から2016年までドライバー(ホセ・マリア・ロペス)とマニュファクチャラーズタイトル双方で3連覇を達成。特に2015年はフィーチャーレースは全勝、リバースグリッドの第2レースも他チームに3勝しか許さない完勝といえる内容であった。しかしWRCに集中するために2016年いっぱいで撤退した。
また2014年からはWTCCと同時に世界ラリークロス選手権にもペター・ソルベルグをワークス支援する形で参戦し、初年度と翌2015年にドライバーズタイトル2連覇を果たした。その後はWTCC同様、プジョーにあとを託す形で撤退している。
同一グループのプジョーとも古くからWRCやダカールなど同一カテゴリで争ってきたが、PSA全体の経営が年を追うごとに苦しくなっているため、2006年のWRC休止以降は同一カテゴリでバッティングさせることは減った。また2014年にPSAのCEOに就任したカルロス・タバレスにより、シトロエン・レーシングの本拠地であるサトリーにプジョー・スポールとDSのモータースポーツ部門が移管され、財政面での統合がされている。
シトロエン RE-2 - 同社によって開発された軽量ヘリコプター
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