シボレーコルベットコンバーチブルの中古車
販売期間:2009年01月から2010年01月
41件のシボレーコルベットコンバーチブルの中古車
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シボレーコルベットコンバーチブル |
シボレー
シボレー( )は、アメリカ合衆国の自動車メーカー、ゼネラルモーターズ (GM) が製造・販売する自動車のブランドである。略称はシェビー( )。フランス語に由来する正式名が英語圏の人には発音し難いため略称がついたとされる。
日本ではスポーティーカー、あるいは大型SUVやピックアップトラックなどに代表される、いわゆるアメリカ車のイメージが強いが、シボレーはオセアニアを除くほぼ全世界で展開される、GMでは数少ないグローバルブランドの一つであり、その製品ラインナップも多岐に渡る。
GM創業者ウィリアム・C・デュラントがGMから締め出されていた時期の1911年にGMに対抗し、GMの花形レーシングドライバーであったルイ・シボレーを前面に出して設立した会社である。ルイ・シボレーはスイス出身だがアメリカでレーサーとなり、兄弟でGMに雇われた。兄のルイはGMのテストドライバーであり、また、当時のテストドライバーの常で、GM車アピールのためにレースで活躍していた(弟はデュラントの運転手を務めた)。ウィリアム・C・デュラント自身がデザインしたとされるシボレーのエンブレムはそのデザインからボウタイ(蝶ネクタイ)とも呼ばれる。デュラントがGM復帰すると、旧GMはシボレー社傘下とし、シボレー社を核として新GMがつくられた。このGMは2000年代のGM危機でアメリカ政府が株主となるまで続いた会社である。そのGMの母体が最初のシボレー社であった。
デュラントはT型フォード(日本では20世紀にはこう呼ばれていた)のような大衆車をつくりたかった。一方のルイ・シボレーはキャディラックのような高級車を作りたかった。当初はシボレーの意見も取り入れつつ、2極の開発をしていたが、最終的にはシボレーは社を抜け、社としてはデュラントの主導する低価格の普及型を販売して成功した。デュラントのGM復帰がこれで可能になった。このため、以後のシボレーブランドはGMのブランディングで「低価格普及型」を担ってきた。(アメリカでの低価格普及型とは若者向けスポーツ車を含む概念であるのが日本の自動車マーケティングカテゴリとは異なる)
1920年代、フォード・モデルTがベストセラーとなると、シンプルで代わり映えのしないフォードに対し、GMは高級車に似せたより近代的なデザインと、デュラントを再び追い出し新たに社長となったデュポンの、ファミリー力を利用した豊富なカラーバリエーション(モデルTは黒1色)展開などで対抗し、デュポンの後を継いだアルフレッド・スローンの時代には、実用本位だが旧態化したライバルたちを圧倒し、以来GMは規模面で常にフォードを凌駕する世界最大の自動車メーカーとなり、自動車業界だけでなく企業経営の模範として語られるようになった。1930年代には、宣伝用アニメーション映画として「A coach for cinderella」と「A ride for cinderella」が作られた。
第二次世界大戦以前や1950年代アメリカ自動車の黄金期からずっと、シボレーはGMの低価格普及型ブランドとして、シンプルな基本設計と時流を的確に捉えたスタイル戦略でアメリカナンバーワンブランドの地位を保ち続けた。1970年代に入ると、石油ショックの影響を受けて小型、軽量化を余儀なくされ、以後、ドイツのオペルや日本のいすゞやスズキ、さらにはトヨタと連携した。
北米以外の地域では主にオペル(特にラテンアメリカ諸国や南アフリカ共和国など)やホールデンのリバッジ車を製造・販売していたが、2000年代に入ると転機を迎える。
2002年に韓国の大宇自動車を傘下に収めてGM大宇(現:韓国GM)を発足させたGMは、2005年にヨーロッパでそれまで展開されていた大宇ブランドを廃止してシボレーに転換したほか、韓国国内市場においても2011年3月に「GM大宇」ブランドを廃止、一部車種を除いてシボレーブランドに切り替えられた。
アジアやラテンアメリカなどの新興国市場でオペルに代わって大宇の車種をシボレーブランドで販売するようになった。その後、GMは北米向けとそれ以外の地域向けの車種の統合を進め、主力車種を世界戦略車としていった。近年では、ブラジルや中国の開発拠点でも自主開発が行われており、一部車種は海外展開もされている。
その他、GOM(一般海外市場)を中心とする一部の国では、2015年現在もいすゞやスズキ製の車種がシボレーブランドにリバッジされて販売されるケースがある。
一方、2010年代末には生産・販売戦略の見直しが行われ、タイでは2020年末までにシボレーブランド車の生産終了が決定。さらにオセアニアでは長らく続けられてきたホールデンへのリバッジが2021年で中止されることが決定している。
日本には当初は輸入車として導入されたが、日本の乗用車、商用車市場の伸びを受けて1927年に日本ゼネラル・モータースが設立され、大阪に組立工場が建設された。日本国内(植民地の朝鮮半島や台湾島、国連委任統治領の南洋諸島を含む)で販売されたほか、1930年代に入ると満洲国へも輸出されたが、日米関係の悪化を受けて1941年に操業中止となった。
第二次世界大戦後には、連合国軍の1国として日本に駐留したアメリカ軍関係者の車両が輸入され、その多くがそのまま日本国内で中古車として販売された。その後の輸入車の全面解禁を受けて正規輸入が開始され、その後1982年からはヤナセが輸入販売を開始し、シボレーブランドの日本での普及に大きく貢献した。
また1995年から2000年までトヨタ自動車がシボレー・キャバリエのOEM供給を受けてトヨタ・キャバリエとして販売していた。一方、三井物産が子会社の「三井物産オートモーティブ」を通じて、アメリカのコーチビルダー「スタークラフト」によるアストロのコンバージョンバンの並行輸入販売を始めた。
2000年に、シボレー車の正規輸入権は日本ゼネラルモーターズ(現ゼネラルモーターズ・ジャパン・GMJ)の所有となった。GMJと三井物産がシボレーブランド車の輸入権を持っており、販売網はGMAPが展開するGMシボレー店・三井物産(主に並行輸入を手がける外車販売店等が代理店となっている)に加えヤナセの3系列体制となっていた。GMAPJと三井物産では輸入車種が異なるが、ヤナセを含め多くの販売店がGMAPJ・三井物産それぞれが輸入した正規輸入車を取り扱っていた。
一方、GMとスズキが資本提携を結んでいたため、スズキが2000年からMWのOEM供給を、2001年からはGMとの共同開発車クルーズの生産をそれぞれ開始し、2003年からはコルベットを除くシボレー車の輸入権をGMJから取得してトレイルブレイザー、アストロ、オプトラの取扱を行った。(クルーズ・MW・オプトラについては、ヤナセでの取扱いは極一部の販売店のみに留まっていた。)
しかし、2006年3月にGMがスズキの株式の大半を売却したのを機にスズキは事業の見直しを行い、スズキが保有するシボレー車の輸入権については2006年11月にゼネラルモーターズ・アジア・パシフィック・ジャパンへと移管すると発表した(資料)。アライアンスパートナーとしてのGMとスズキの両社間における戦略的業務提携関係はしばらくの間継続されたが、スズキが生産・販売しているクルーズは2008年で生産が終了し、残ったMWも2010年いっぱいで販売が終了した。
さらにGMの日本における戦略変更に伴い、三井物産が持っていた正規輸入権が2011年11月1日付をもってゼネラルモーターズ・ジャパンに譲渡される事になり、これにより三井物産は日本でのシボレービジネスから撤退することになった。
販売網や輸入権の数多くの紆余曲折を経たが、2014年現在はカマロやコルベットなどの米国製スポーツモデルの他、ソニックやキャプティバといった韓国GM製の小型車・SUVが、GMジャパン正規販売店(ヤナセ含む)にて販売されている。近年ではシボレーのブランド名を冠した自転車も日本国内で販売されている。
なお、日本の自動車検査証における車名はすべて「シボレー」となっているが、車名コードは輸入車種が「615」、スズキの国内工場で生産された車種は「124」と区別される。
2005年に欧州でのシボレーブランドの展開を再開。しかしながらGMの他ブランドとの棲み分けができなかったため、2013年12月、GMは2015年にシボレーブランドの大衆車展開を中止にしコルベットとカマロの高性能車に集中すると発表、戦略ブランドをオペルとボクスホール(ボクソール)にシフトすることとした。
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シボレー・コルベット
シボレー・コルベット(Chevrolet Corvette)は、ゼネラルモーターズ(GM)のシボレーブランドによって販売されている、アメリカンスポーツカーである。
GMのデザイン部門の初代副社長を後に務めることになる、もともとスポーツカー好きだったハーリー・アールが第二次世界大戦後の自動車競技における英国製・ヨーロッパ製スポーツカー(大戦後、アメリカ軍軍人たちが祖国に持ち帰ったMG、ジャガー、アルファロメオなど)に感化され、GMはスポーツカーを製造する必要があると決意したことが、その誕生につながる。コルベットに先立つ1951年、 ナッシュ・モーターズがイタリアのデザイナー、ピニンファリーナと英国のエンジニア、ドナルド・ヒーレーのパートナーシップのもと、2シータースポーツカー、ナッシュ・ヒーレーの販売を始めたが、ほとんど価格の高いモデルばかりだった。アールの構想は、まず非公式な“プロジェクト・オペル”として秘密裏にスタートした。アールは最初に、当時シボレーディビジョンのゼネラルマネージャーを務めていたエド・コールにプロジェクトを提案した。コールはためらうことなく、この提案を受け入れた。1951年後半、アールとスペシャルプロジェクトのクルーは、作業にとりかかり、その車が1953年にシボレー・コルベットとして陽の目を浴びることとなったのである。
2シーターカーとしてほぼ同時期に誕生したフォード・サンダーバードと同じく、それまでの量産型米国車にあまり見られなかった小型軽量のボディーに適度のパワーを持ったエンジンを搭載し、当時憧憬の的であったオープンエアモータリングを楽しめるアメリカンプレステージスポーツカーとして誕生したコルベットは、本来大衆車製造部門のポジションであったシボレーで、その後誕生するシボレー・カマロとともに数々のレースシーンに積極的に関与することでブランドの華やかさ・先進性・技術力・優秀性をアピールする役割を果たすこととなった。
当初は、欧州のライトウェイトスポーツカーをベンチマークにしていた関係で、コルベットもそれらと共通した性格を基本とするかに見えたが、当時米国では新世代のV8エンジンの勃興期と重なっていて、マーケットからの要望を背景に、毎年ほとんどの車種でエンジンパワーが増大していく傾向にあり、コルベットもそのトレンドを積極的に取り入れる方向で発展していった。このためシボレーコルベットは、はやばやと路線修正され、やがてGMないし米国内でもっとも強力なエンジンを搭載可能な、走行性能の優れた小型プレステージ2シーターカーという路線に乗ることとなった。
基本的なデザインは、一部を除きオープンエアモータリング可能でロングノーズショートデッキの小型軽量2シーターカーだが、アメリカ車らしく、ごく初期のわずかな期間を除き軽量コンパクトかつ高出力のV8エンジンをフロントに積み、V8エンジン特有のパワーを後輪に伝える、典型的なフロントエンジン・リアドライブを7代目まで貫き通していたが、8代目からは駆動方式がミッドシップに変更された。また、時代に合わせて頻繁にアップデートが施され、時には外観のみならず、車の性格を激しく変えるほどのモデルチェンジが果たされたことも珍しくない。その一方で、タフでパワフルなアメリカンV8エンジンによる余剰馬力の大きさを持ち味としており、一時期高性能DOHCエンジンを採用したことがあったものの、最新型においてもコンベンショナルなV8大排気量OHVエンジンを採用し、強力な加速力と余裕の走りがコルベットのアイディンティティとなっている。
コルベットは、その基本性能の優秀さから初代C1型コルベットの時代から様々なレーシング仕様が製作され、数多い功績を挙げた。ワークスでのレース活動を休止していた時期もあるが、その間を埋めるようにプライベーターによる参戦も盛んに行われた。
現在、欧州ではシボレーのブランド名が落とされて、単にコルベットとして販売されているが、シボレーブランドのフラグシップモデルであることには変わりない。なお、日本への輸入はGMアジア・パシフィック・ジャパン(GMAPJ)によって行われており、販売店の関係で日本でも単に「GM・コルベット」として販売されていた時期があった。車検証の車名欄およびJAIA(日本自動車輸入組合)の輸入車登録台数の統計では「シボレー」となっている。
シボレー初の2シーターレイアウトのオープンスポーツカー。1953年にプロトタイプが披露され、翌年に生産を開始する。初期のC1型コルベットは、純粋なスポーツカーというより、スポーツカーと先進的イメージを押し出した“雰囲気車”のような感は否めない。スチール製フレームに、量産車としては初めてとなるFRPボディパネルを貼り付けた、ヨーロッパ車顔負けの先進的な特徴を有していながら、少なくとも本質的な走りを重視する人々の琴線を刺激するだけの魅力は持ち合わせていなかった。
排気量3,859cc、最高出力150HP(当時のSAE基準でマフラー等補機類を装備せず計測されており、車載時の実出力ははるかに低い)を公称する水冷直列6気筒OHVエンジンは、「ブルーフレーム」と大げさな愛称が付いてはいたが、素性は1928年以来長年生産されてきたシボレー標準の重たい旧式エンジンで、通常型セダンと変わらぬ2速ATの非効率も相まって、最高速度102マイル/hにしか達しなかった。先行して市場に投じられ、ほとんど同等のサイズと3.4LのDOHCエンジンを持つイギリス製スポーツカーのジャガー・XK120はその名のとおり120マイル/hを容易に達成しており、実力差は明確だった。しかも品質不良での購入者からの苦情も殺到した。これは先進的なFRP素材を使用したがために起こってしまった弊害である。まだFRPの厳密な生産管理技術が確立されていなかった時代のため、温度差によってボディパネルが歪んでしまうことが原因だった。
初期にはこのようなメーカー側の不備から批判を受けたが、チューニングを生業とする者たちは、優れた車体特徴を備えたコルベットを見放さなかった。彼らは市場の不満の声に応えるかのごとく、エンジン・チューニングキットや、マニュアルトランスミッションへの交換などを請け負い、潜在的な需要を満たした。
しかし、コルベットの評価を一転させるマイナーチェンジが行なわれることとなる。その先鋒に立ったのがGM実験部門に所属していたエンジニア、ゾーラ・アーカス・ダントフである。シボレー・セダン用の4,343cc水冷V8 OHVエンジンを専用にチューンを施し、コルベットのエンジンルームに押し込むことにより、大幅なパワーアップを達成する。1955年ではオプション扱いだったものの、1956年からは通常ラインアップに加わり、逆に当初の標準だった6気筒エンジンは蹴落とされる格好となった。ちなみに、このエンジンは後々のコルベットにもスモールブロックユニットとして受け継がれていくこととなる。トランスミッションもボルグワーナー製の3速MTが選べるようになり、いよいよ本格的なスポーツカーとしての認知を得るに至る。以降、ドーピングのごとくパワー至上主義路線を貫くようになり、200馬力前半だったパワーは、最後期には300馬力オーバーに達するまでになった。
C1型コルベットは、本格的にレースにも参戦し、そのテストベッドとして1954年にMule(雑種の意)と呼ばれる、レーシングチューンの施されたV8エンジンを搭載したモデルがあった。Muleは最高速トライアルやデイトナに参戦し、このモデルの活躍がコルベットの名声を高めるきっかけとなった。その後、1956年のセブリング12時間レースに参戦するために手直しされたコルベットSR(セブリング・レーサー)が出走し、クラス優勝に輝く活躍を見せ、1957年以降には数々のレースでアマチュアレーサーの手で走らされるコルベットを見るようになった。また、SRが活躍したとほぼ同時期に、更なるパフォーマンスアップを図ったSR2に発展し、1957年のデイトナでル・マン24時間レースの王者であるジャガー・Dタイプに続く2位に食い込み、その実力を示した。しかし、コルベットのレース活動の指揮を執っていたゾーラ・ダントフの意向により、SR2の現役としての期間は短く、その活動はコルベットの名を冠した、しかしオリジナルとは関連性のない新たなレーシングカーであるコルベットSSに委ねられた。
スティングレイレーサーのスタイルを基礎にしてデザインされたC2型コルベットは、原型となったレーサーモデルの名を取ってコルベットスティングレイ(綴りはSting Ray)と呼ばれた。スティングレイ(stingray)とはアカエイ科の意である。名付け親は開発担当者の一人であるビル・ミッチェル () で、これは彼が釣りを嗜んでいたことに由来するといわれている。なお、両車の間には構造的共通点はないに等しく、市販にあたって新たにボディ設計がなされている。販売が開始されたのは1963年から。オープンモデルのみのラインナップだったC1型と違い、クーペをメインに据えることとなった。
外観は大きく変貌し、ダイナミックだった先代のスタイリングに対し、これまでにない先鋭的でエッジの立った独特なスタイリングとなった。初年度の1963年式モデルのみの特徴として、ルーフからリアエンドに向かって走るフレームによって二つに寸断される「スプリット・ウインドウ」と呼ばれるリアウインドウを持っており、現在でも人気の高いモデルとなっている。またリトラクタブル・ヘッドライトの採用はこの代が初となり、以来C5型まで続く伝統となった。
エンジンは基本的に先代に採用されていたものが継承され、それに更にチューニングを加えたもの。排気量は大幅に拡大され5,358ccの水冷V8OHVエンジンで、キャブレターの違いで300馬力、340馬力、インジェクション仕様の360馬力のものが設定された。特に360馬力仕様は事実上のレーシング仕様で、足回りがレースを前提として硬くセッティングされており、公道での走行には適さないものであった。デビューから2年後の1965年には、レーシングスペックのZ06(ズィーオーシックス)が登場。6,489ccという排気量を持つ、通称ビッグブロックユニットが搭載され、425馬力、約64kgmというハイパワーを誇った。後にビッグブロックは更なる排気量拡大を受け、427立方インチ(6,997cc)までスープアップされている。C1型での欠点だったトランスミッションも改良され、標準装備の3速MTのほか、オプションで3速AT及びギアレシオをクロスさせた4速MTが設定された。こうしてコルベットは、シボレーのフラッグシップ的存在へと昇華する事となる。
ボディは完全な新設計で、ラダーフレーム方式を採用。車高は先代に比べ低くなり、低重心化に貢献している。C2型コルベットはフロントエンジン車でありながらリアヘビーという、かなり特異な前後重量配分を有していた。これは燃料タンクが最も後ろに配置されていたためで、通説では前後47:53の重量配分と言われている。足回りはフロントがダブルウィッシュボーン式、リアがトレーリングアーム式で、後輪にリジッドアクスルを採用していた先代と比較すると、前後輪とも独立懸架によって支持されるという進化を遂げた。フロントはコイルスプリングだが、リアには本来縦向きに配置されるリーフスプリングを横向きに配置している。これは後々のコルベットにも受け継がれる特徴のひとつであるが、この配置にはバネ下重量を理論上ゼロに抑えることができる利点があった。ブレーキは当初は前後輪ともドラムブレーキだったものが、1965年からは前後輪ともディスクブレーキに改められている。
L88型と呼ばれるC2型末期の1967年に追加されたエンジンは、レーシングカー用エンジンをデチューンしたものである。燃料には103オクタン以上のレース用ガソリンを使用しなければ動かないという、あくまでGTレースに出走するためのホモロゲーションを取得するためのモデルだった。L88型は430馬力と公表されたが、監督官庁の懸念や保険料の問題等で伏せていただけで、実際は500馬力以上だったとも言われている。L88型エンジンを積んだコルベットは、20台が市販されるに留まっている。このL88型を搭載したC2型コルベットには、オークションにて約7,600万円の値が付けられた事がある。
1968年登場。大胆に膨らんだ前後フェンダーとくびれたように見えるボディ中央部がコーラのビンを連想させたことから、“コークボトル”の愛称がある。このデザインは、このモデルを最後にデザイナーを引退したビル・ミッチェルと日系人ラリー・シノダがデザイン・スタディとして生み出したマコシャーク(Mako Shark)が原型で、そのデザインをほぼ踏襲している。ネーミングにも変化が生じ、1969年から“スティングレイ”の呼称が復活(ただし綴りはStingray)した。その後1978年のマイナーチェンジにて、再び“コルベット”名義に戻されている。
その独特なスタイルと、バリエーションにコンバーチブルと量産車初のTバールーフのトップを採用しながらも、シャシーやサスペンションは基本的に先代・C2型のものを引き継いでいる。リトラクタブルヘッドライトの機構は先代から変更され、回転式でなくカバーを上へ持ち上げるオーソドックスなメカを採用している。これは歴代コルベットの中では唯一である。エンジンラインナップは先代から変更はないが、1969年にはビッグブロックユニットが7,440ccに排気量を拡大。標準エンジンであるスモールブロックユニットも同年に排気量を5,358ccから5,738ccに拡大しているが、出力は300馬力で変更はない。また同エンジンを基本にチューニングを施したLT1ユニットは350馬力仕様に加え、1971年までは高圧縮化で370馬力にまでチューニングされたものが設定されていた。
1969年、総生産数3台(市販車両に搭載されたものはわずか2台)という幻のパワーユニット、ZL1ユニットが追加される。これはC2型コルベットに搭載されていたL88ユニットの発展型で、エンジンヘッドのみならずエンジンブロックまでもアルミ化されたスペシャルエンジンである。このエンジンはオプション設定という形でカタログに記載されたが、価格が非常に高額だったため、ごく少数の生産に留まることとなった。1971年にはマスキー法が全面施行され、プレミアからレギュラーガソリンに対応、三元触媒の取り付けなど排ガス対策に追われたため、全てのパワーユニットが軒並み20~30馬力ほどダウンすることとなる。その対策として、ビッグブロックユニットを425馬力にまでチューンしたエンジンが追加されるが、環境問題が叫ばれる逆境などを理由に1972年に廃止された。1973年にはクロームメッキバンパーを廃止、ウレタン製のものが装備されるようになる。他エンジンラインナップが大幅に整理され、ボアφ101.6×ストローク88.4mmで5,733ccのV8 OHVエンジン一本となり、標準仕様は190馬力、オプションで210馬力、更に排ガス規制の厳しいカリフォルニア州向けに、コンピュータ制御の排ガスコントロール装置を取り付けた仕様も登場した(180馬力)。1972年にエンジン性能の表示がグロス値からネット値に移行したため、従来よりも低い馬力換算がなされていたものの、このエンジンは従来のものより確実にパワーダウンを強いられていた。
C3型の最も大きなマイナーチェンジは1978年のことである。大きな変更点として、それまで垂直に降り立つリアウインドウが、ルーフからボディ後端までを繋ぐ湾曲した一枚ガラスに変化し、規制によって5マイルバンパーが装着された。オプション設定にはグラストップが追加されるが、これはコルベットがスポーツカーというより、長距離を高速で移動することに主眼を置いたGTカー的な方向に寄ったものであることを示していた。1981年にはオプション設定されていたエンジンが姿を消したが、C3型最後の年1982年には、キャブレターからインジェクションとなり、10馬力上乗せの200馬力を計上した。
トランスミッションは4速MTと3速ATが用意され、1982年には4速ATが設定されたが、この年にはマニュアルトランスミッションの設定がなく、このことからも後期のC3型はGTカーとしての位置づけを与えられていたことを裏付けている。
C3型コルベットは1982年型がラストイヤーだったが、同年に予定されていた新型コルベットへの移行が翌年にずれたため、一時は「コルベットはC3が最期」と騒がれてしまった。
1983年の前中期をテスト期間として43台ものテストカーを費やし、満を持して1983年末にC4型コルベットが登場する。ただし予定より開発がずれこんでしまったため、1984年型と銘打って生産を開始しているため、事実上1983年型のモデルは存在していない。マニアの間では「テストカーとして製作された43台」を1983年型と呼称することもあるが、これはGM側が正式にアナウンスしたものではない。ちなみにテストカーのほとんどはクラッシュテストのために破壊されているが、一台のみはアメリカ・ケンタッキー州ボウリンググリーンに存在するコルベットの生産工場に併設されたコルベット博物館に保管され、現存している。
これまでのコルベットは、ダイナミックで力強いスタイルを特徴としたアメリカニズムを押し出したデザインが特徴だった。しかし国内、世界的情勢を意識して大きく路線変更することとなり、ロングノーズは踏襲されているものの、大きく盛り上がったフェンダーなどはなだらかに整形され、全体的に洗練されたスタイルを纏った。これは開発関係者にヨーロピアンデザインに造詣の深い人物がいたためといわれている。
構造的にも、特徴の多くを先代から受け継いでいたC3型とは違い、エンジン以外のほぼ全てを新規設計した。エンジンは前輪車軸後部に搭載され49:51とスポーツカーとしてほぼ理想的な前後重量配分を実現した。足回りは前不等長ダブルウィッシュボーン式、後5リンク式へと進化、アームには市販車初の軽合金を採用し、バネ下重量の低減を狙っている。また、前後とも伝統の横置きリーフスプリングを使用しているが、それはFRP製であり、軽量化が徹底されている。ボディ構造は角断面鋼管フレームとセミモノコックを組み合わせたユニフレームとなり、旋回性能を上げるためにショートホイールベース化され、前後トレッドを広げて操縦安定性を確保している。また、洗練されたスタイリングは空力にも十分な配慮がされ、Cd値0.34と当時のスポーツカーとしては最高水準の値をはじき出している。なお、ボディバリエーションはクーペとTバールーフを廃止したタルガトップを用意していたが、C3後期に安全性の問題でラインナップから落ちたコンバーチブルが1986年型から復活している。
デビュー当初、1983年11月エンジンはC2型と同じボアφ101.6×ストローク88.4mmで5,733ccのV8 OHVとなり、クロスファイア・インジェクションと呼ばれた、コンピューターインジェクションを搭載し、205馬力と少々控えめの数値だったが、Z51と呼ばれるハイパフォーマンスモデルに注目が集まり、人気を呼んだ。これはハードなスプリングレート、デルコ・ビルシュタイン製ショックアブソーバー、ワイドタイヤなどを組み込んだ仕様で、ノーマルでは4速ATが選択できたが、4速MTしか設定されていない硬派な仕様だった。このモデルの登場で、コルベットが優秀なハンドリング性能を有していることを世界に知らしめることとなった。
1988年にチューニングメーカーキャラウェイがC4コルベットをベースに改造。フロント、サイド、リア、ボンネットに独自のエアロパーツを装着しクーペとスピードスター(コンバーチブルではない)があり搭載されているエンジンをツインターボ化し900馬力を叩き出し、0-100㎞/hを3.9秒、最高速度412.8km/hを記録。後にブガッティ・ヴェイロンに抜かれるまでは、当時の市販車の世界最速車であった。
1989年モデルから追加された。キング・オブ・ヒルというニックネームがつくほどのパフォーマンスを持ち、1989年は63台のみが生産された。これに搭載されるLT5型エンジンは、当時GM傘下にあったロータス・カーズによって設計・開発されたもので、スクエアに近くされたボアφ99.0×ストローク93.0mmで5,727ccと排気量そのものはほぼそのままだがブロックもアルミニウム化したオールアルミニウム製のエンジン、圧縮比11.0:1、DOHC32バルブという画期的なエンジンで、標準モデルより100PS以上高い375PS/5,800rpm、51.3kgm/4,800rpmを発生した。ヘッドの大型化を防ぐためバルブ挟角は22度に小さくしてある。ATは設定されず、ZF製6速MTが組み合わせられた。ブレーキは大径化され、フロントはホイール9.5J17にタイヤP275/40ZR17、リアはホイール11J17にP315/40ZR-17にサイズアップ、オーディオの左脇に安全対策としてECUのマップ切り替え用の鍵が装着されている。タイヤを収めるためにリアの造形に変化が生じ、角張っていたリアフェイスは丸まり、フェンダーが外側に拡大されていた。その高性能振りを物語るエピソードとして、各地で行なわれていた24時間スピード競技で数々の世界記録を打ち立てるなどの快挙がある。当時の記録は0-60mph/h(約97km/h)を4.2秒、0-400mは12.2秒、最高速度は289.5km/h。ちなみにZR-1はZ06やZ51と同様にベースグレードのパッケージオプションである。当時オプション価格は20,000ドルでコンバーチブルは選べなかった。
1997年にフルモデルチェンジされ5世代目となった通称「C5」は、先代のC4の直線的だったデザインから空気抵抗を減らすためにイメージを保ちつつも流線型のデザインに変更され、シャシーやミッション、内装に至るまで細部を見直すことで、居住性や快適性を劇的に向上した。
C4の構造は角断面鋼管フレームとセミモノコックを組み合わせたユニフレームだったため部品点数が多く、どうしてもボディのゆがみが出てしまっていたが、C5では一体成型シャシーとなり高剛性を実現し、ゆがみを減らした。また、旋回性能を上げるためにC4からさらにショートホイールベース化、ワイドトレッド化されたことに加え、操縦安定性を確保するため、トーイン、トーアウト、キャンバー角も見直されている。そして何より特筆すべきは、トランスアクスルレイアウトを採用したことで前後重量配分を50:50に近づけ、鋭く素直なステアリング応答性を実現したことである。しかし、リトラクタブル式のヘッドライトや円形の4連テールランプ、ダブルウィッシュボーンにリーフスプリングを組み合わせた足回り等の伝統は引き継がれている。
また、C5コルベットは市販乗用車としては最後のリトラクタブル・ヘッドライト搭載車でもある。
今までコルベットはパワーはあるが、曲がらない止まらないと言う直線番長的な面があった。しかしそれはC3までであるというのが正しく、C4から始まった近代スポーツカーへの転換の試みが一応の完成型となったC5コルベットからはスムーズに速く、しなやかに曲がり、確実に止まることのできる車となった。C5のデリバリーを契機にコルベットレーシングも復活し、ルマン24時間耐久レースやアメリカンルマンズ耐久レース等のレースシーンで1-2フィニッシュを飾るなど華やかな結果を残している。
また、マイナーチェンジでダンパーに磁気流体機構を付けた、マグネティックセレクティブライドを採用。これはセレクトスイッチでショックの硬さを変化させるもので、ツアーモード、スポーツモードがある。前者はロングドライブ向けの仕様で、ダンパーを柔らかめに設定し、高級車のような乗り心地を得るためのモード、後者はサーキットや高速道路上でダンパーを固めに設定し、ロールを抑えて操縦安定性を得るモードになっている。
内装は依然としてプラスチックオンレザーを多用しているなど、目に見えるアメリカらしさこそ残るが、ツインコックピットスタイルと呼ばれる独特の内装や、使いやすくまとまった計器類にフロントウィンドーに速度などを映し出すヘッドアップディスプレイなど充実した装備で、世界に対抗できる「アメリカンスポーツカー」に仕上がっている。
2004年に生産を終了し、翌2005年からC6コルベットにフルモデルチェンジした。
2005年型から生産を開始したC6型コルベットは、「Power, Passion, Precision(よりパワフルに、情熱的に、精緻に)」をコンセプトに掲げ、C5型に存在した欠点を洗い出し、改善した正常進化モデルである。そのため、メカニズムに共通点は多いものの、そのほとんどは新しく設計されている。実際の生産は秋頃から開始され、日本での販売は2005年2月11日から行なわれている。また衝突安全性や軽量化の視点からリトラクタブル・ヘッドライトは廃止され、吊り目型の固定式ヘッドライトが採用された。C5型にも密接に関わり、その後GMハイパフォーマンスカー設計グループのチーフを務めたデイブ・ヒルが開発リーダーを務めた。
曲面で構成されていたC5型と比較し、よりエッジの利いたラインで構成された力強いスタイリングとなった。また、運動性能向上のためダウンサイジングを敢行し、先代より全長が100mm短縮されたが、逆にホイールベースは30mm延長され、オーバーハングを縮小することで安定性を高めている。足回りは前後ダブルウィッシュボーン式、コンポジット材を使用した横置きリーフスプリングという組み合わせは不変であるものの、C5型末期に採用された、路面状況に合わせて減衰力をオートマチックに制御するマグネティック・セレクティブ・ライド・コントロールを装備している。
歴代コルベットからフレーム構造を引き継ぎ、C5型で採用されたハイドロフォームによって成型される、フロアの周囲にフレームを巡らせたスチール製ペリメーターフレームを基本に、ボックス断面のセンタートンネルなどを組み合わせたフレーム構造を有する。フロアパネルにはコンポジット材を用いるなど、軽量化にも配慮がなされている。
基本的にはキャデラック・XLRとプラットフォームを共有しており、この車の開発にはデイブ・ヒルが指揮を執った経緯が存在する。また、細部形状の適正化により、先代のCD値0.29を更に上回り、0.28と優秀な空力特性を実現している。
パワートレインは先代からの流用で、新型に合わせて改良を施されている。LS2と銘打たれた、5,967ccにボアアップされたスモールブロックユニットは404馬力を発生する。トランスアクスルも引き継がれており、前51:後49という、スポーツカーとして理想的な前後重量配分を保っている。トランスミッションのバリエーションは2種類で、日本仕様ではクーペにのみ設定される6速マニュアルミッションと4速オートマチックが用意される。また、2006年モデルではオートマチックが6速・パドルシフト付きに変更される。
2008年モデルでは、エンジンのシリンダーブロックの改良を受けると同時に排気量が6,156ccに上げられ、最高出力も436馬力に上げられた。また、パドルシフト付き6速ATも反応速度が上がり、同時に6速MTもギアレイアウトが改善され、さらに高いパフォーマンスを発揮することとなった。
なお、ハイパフォーマンス版である「Z06」(ズィーオーシックス)も用意される。軽量化のためにチタニウム製のコネクティングロッドとインテークバルブを奢られた、6,997ccに排気量が上げられ、511馬力を発揮する、ドライサンプのLS7型スモールブロックエンジンが搭載された。タイヤサイズもパワーの向上に合わせてより大型のフロントP275/35ZR18、リアP325/30ZR19となると同時に、ブレーキシステムも大型化されたベンチレーテッドクロスドリルローターに、フロント6ピストン、リア4ピストンキャリパーを組み合わせものとなった。なおトランスミッションは、トランスミッションオイルクーラーを備えた6速マニュアルミッションのみとなる。
限定モデルではあるがZR1が販売された。エンジンはイートン製スーパーチャージャー付き6.2LのLS9型となった。最高出力は647馬力を発生し、シボレー・コルベットとしてついに600馬力を超えるに至った。エンジンはLS7のドライサンプ、チタンコンロッド、チタンインテークバルブを踏襲し、ブレーキはブレンボ製カーボンセラミックローター(フロント6ピストン、リア4ピストン)となり、ローターサイズもフロントφ394mm、リアφ380mmとZ06から拡大されたため、これに合わせてタイヤサイズもフロントP285/30ZR-19、リアP335/25ZR-20となった。またルーフやフロントスポイラーなどに積極的に炭素繊維強化プラスチックを採用するなど、内容的には同世代のフェラーリ・599GTBフィオラノやランボルギーニ・ムルシエラゴなどスーパースポーツに並ぶものとなり、価格も10万ドルを超えるに至った。
発売当初、アメリカではガイ・リッチーが監督したテレビコマーシャルが放映されたが、「子供がクルマを運転するのは危険」だと指摘され、すぐに放送中止となった。
2013年1月13日、ゼネラルモーターズが新型モデルとなるC7型を発表した。トランスミッションは7速MT、6速AT、8速ATを搭載する。別名はC2型、C3型でも呼ばれていたスティングレイ。
新たに設計されたフレーム構造とシャシー、パワートレーンを採用。
エクステリアでは大幅な変更があり、クーペモデルではC3形後期から採用されていたラップアラウンド形のリアウィンドウが廃止され、通常のノッチバック式となった。またテールランプでは歴代モデル史上初の角型が採用されている。FRP製のボディを持ち、ボンネットとルーフはドライカーボンで成型されており車体の軽量化に貢献している。また、ルーフを取り外すことでオープンカーとしても楽しめるようになっている。
インテリアにはカーボンファイバーとアルミニウム、ハンドメイドのレザー素材を使用し、サポート性に優れた軽量マグネシウムフレームを持つ2種類の新型シートが用意された。8インチ・デュアルドライバー・インフォテイメント・スクリーンは設定により変化するグラフィカルなメーターが表示され、フロントガラスに投影されるヘッドアップディスプレイも用意されている。
新しいエンジンは先端技術を採用した新型6.2リッターLT1型V8・OHVエンジン。直噴システムとアクティブフューエルマネージメント、連続可変バルブタイミング、パワーと低燃費を両立させた先進的燃焼システムを採用し、最大トルク610N・mと最高出力335kW(450hp)を発揮、0-60mph加速は4秒以下コーナリング時の最大横Gは1Gを超える性能を備えている。
日本市場においては、同年7月6日より受注を開始した。初期受注分は「カスタムプレオーダーキャンペーン」として、ボディカラーなどを本国で設定されている限り自由に選択できた。デリバリーは2014年。
のちに、ドライサンプや大口径ブレーキローターとインチアップタイヤでスポーツ性を高めた466PSのZ51(ジーフィフティワン)と、スーパーチャージャー付き650PSでワイドボディを持つZ06(ジーオーシックス)が追加された。2018年には最強モデルとなるZR1が発表され、最高馬力は766PS(最大トルク96.8kgm/4400rpm)まで高められた。
2019年7月18日、発表された。今回のモデルチェンジでエンジンレイアウトが長年貫き通してきたFRからミッドシップに変更された。エンジンはV型8気筒 6.2リッター直噴エンジンが搭載される。トランスミッションは8速DCT。
2019年7月19日、日本市場での導入が発表された。歴代コルベットで初となる右ハンドル仕様が導入された。
C2型コルベットの直接的なデザインスタディとなったのが、スティングレイレーサーと呼ばれる車である。しかし、この車は紆余曲折の末にようやく生まれた車だった。当時のAMA(自動車工業会)は、1957年のNASCARで起こった事故を契機に神経質になり、自動車企業に対し一切のワークスによるレース活動を事実上禁ずる処置を申し合わせていた。そのためシャシーを完全新設計し、コルベットの名を借りたレーシングカーとしてサーキットでの活躍を確約されていたコルベットSSは、大きな舞台をほとんど経験することなく、テストカーとして生涯を終える運命にあった。
それを阻止したのが、C3型コルベットまで開発の中枢メンバーの一人だったビル・ミッチェルである。彼はコルベットSSのフレームを流用したMule(C1型ベースのものではなく、コルベットSSの計画が立ち上がる際に新規製作されたもの)をわずか1ドルで引き取り、新たなデザインに仕立て直した。デザインを手がけたのは、シェルビー・デイトナの設計を担当したこともあるピート・ブロックである。彼は当初、クーペスタイルを主張したが、いくつかの変遷を経てオープンカーとすることになった。
フレームには鋼管スペースフレーム構造が採用され、オープンカーながら剛性の高いシャシーを実現した。サスペンションは、前ダブルウィッシュボーン式、後ドディオン・アクスル+トレーリングアームが採用された。しかし、デフにLSDを採用せず、ブレーキはレーシングカーとしては性能不足な4輪ドラムブレーキだったため、ハードなコーナーリングをすると内側のタイヤがホイールスピンし、レースを走り終えると必ずフェードを起こす、レーシングカーとしてあるまじき事態を引き起こした。ブレーキに関してはディスクブレーキの性能に懐疑的だったGM首脳陣が採用を認めなかったことが原因と言われている。
コルベットは数々のレースでも大きな活躍を見せている。コルベット・レーシングはル・マン24時間耐久レースで8回ものクラス優勝をしている強豪チームであり、2015年にはデイトナ24時間、セブリング12時間、ル・マン24時間を勝利し「トリプル・クラウン」を獲得している。 2017年はドイツADAC GTマスターズでもシリーズチャンピオンを獲得した。
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左右にスクロールして シボレーコルベットコンバーチブルのグレード別のスペックが確認できます。
| 車種 | エンジン | タイヤ | 燃費 | 中古車 | 評価•レビュー | ボディサイズ | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
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コルベットコンバーチブル
6.2
2009年01月から 2010年01月 8,333,334円 オープン |
エンジン:
V型8気筒OHV 排気量: 6156cc 型式: ABA-X245S 馬力: 436ps トルク: 575(58.6)/4600 ミッション: 6AT |
前輪:
P245/40ZR18 後輪: P285/35ZR19 駆動: FR 最小回転: 6.1m タイヤサイズ |
燃費(JC08):
- 燃費(10•15): 6.5km/L 燃料: ハイオク 実燃費: から |
294万円から
294万円 1台 買取価格相場 車を売る |
外観:
0点 内観: 0点 スペック: 0点 エンジン: 0点 乗り心地: 0点 燃費: 0点 価格: 0点 |
高さ:
1250 車幅: 1860 全長: 4455 定員: 2人 |
販売期間:2009年01月から2010年01月
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