ジャガーXJの中古車
販売期間:2013年10月から2014年03月
223件のジャガーXJの中古車
ジャガーXJ |
ジャガー (自動車)
ジャガー(Jaguar Cars )は、イギリスの高級車メーカーである。現在はランドローバーとともに、インドのタタ・モーターズ傘下に属し「ジャガーランドローバー」を構成する。
ウィリアム・ライオンズ(1901年 - 1985年)と、ライオンズの友人である(1892年 - 1961年)により、「スワロー・サイドカー・カンパニー」が1922年に設立された。
会社は社名の通りサイドカーの製造で事業を拡大し、1926年には工場を移転して自動車のボディ修理も手がけた。ここから自動車のボディ製造(コーチワーク)も手がけるようになり、自動車メーカーへの転身を図ることになった。その上で、まずは自動車全体を一から造るのではなく、コーチビルダーとしてボディ(車体)を手がけることからその道を目指した。
1927年に、当時のイギリスにおけるベストセラー大衆車であるオースチン・セブンのシャシに、ライオンズ自身がデザインした高級感のあるアルミ製ボディを換装したモデル「オースチン・セブン・スワロー」を発表した。この車は2人乗りのロードスターに始まり、サルーンも追加され、特にサルーンには特別な塗色として「デュオ・トーン」(写真参照)まで用意された。これは張り出したフェンダー部分とボディサイド・ルーフを塗り分ける手法だが、当時は一部の限られた高級車でのみ行なわれており、量産自動車での採用はスワローが初である。
ライオンズは、サイドカー製造の経験から「美しい物は売れる」という思想を持っており、元の車両より値段が高くなっても、デザインが美しければそれを求める顧客は必ず存在すると考えていた。その狙いは的中し、オースチン・セブン・スワローは1932年までに約2,500台(うち3分の2がサルーン)を生産するヒット車種になった。
会社は1928年に社名を「スワロー・コーチビルディング・カンパニー」と変更するとともにコヴェントリーへ移転し、複数のメーカーからベースとなる車種を調達して新たなボディを架装、また内装も本革やファブリックを使い豪華に仕立て直すようになった。
さらに1933年には、専用設計のシャシーを持つ「SS1」と「SS2」を発売しヒットさせ「SSカーズ」と社名を変更した。なお、「SS」の由来については諸説あるものの明らかになっていない。
これらのモデルは、同じイギリスの高級車で上のクラスに属するベントレーをも思わせる見栄えの良い外見と豪華な内装を備え、不況下でも大いに売れたが、エンジンは量産車メーカー・スタンダード製の実用エンジンで性能も凡庸であり、自動車専門家やカーマニア層からは「見かけ倒しのまがい物」と侮られていた。
その世評を打開するため、1935年には、ボディだけでなくエンジンとシャシーを含む全てを専用設計としたモデルを開発することに成功した。この新型車には今までと区別する意味から「ジャガー」という車名を新たに付け「SSジャガー2½」として発表、続いて大排気量エンジンを積んだスポーツモデル「SS90」「SS100」を相次いで投入した。
これらの新しいジャガー各車は従前からの優れたスタイリングと豪奢な内装に加え、強化されたエンジンと量産効果によるコストダウン戦略の導入で、先発の高級車に劣らない高性能を遙かに安い価格で実現しており(当時、1,500ポンドのベントレーにも比肩する高性能なジャガーが400ポンド足らずで販売された)、高い人気を得た。この頃から、上級車製造を事業の中核に移していった。上位メーカーに劣らない内外装デザインや性能を、相対的に安価で顧客に提供するというこの手法は、現在まで続くジャガーの基本ポリシーの1つとなる。
21歳の若さでサイドカー製造メーカーを設立したライオンズは、わずか13年で会社を著名な高級車メーカーへと発展させることに成功した。なお相方のウォームズレイは、事業の拡大に反対しSSカーズへの社名変更直前に会社経営から脱退している。
1939年9月に勃発した第二次世界大戦時には、戦時体制下において乗用車の生産は縮小せざるを得なかったが、軍用車両の委託生産などを行うことで糊口をしのいだ。なお同大戦において工業都市でもあるコヴェントリーは敵国のドイツ空軍から最も集中的に狙われた都市であり、SSカーズの工場も1940年と1941年の爆撃により甚大な被害を被った。
社名の「SSカーズ」、ブランド名の「SSジャガー」はかつての敵国であるドイツの国家社会主義ドイツ労働者党の親衛隊の略称「SS」と重なり、その好ましくないイメージを想起させるため、第二次世界大戦後の1945年に社名を「ジャガー・カーズ」、ブランド名を「ジャガー」に変更した。
1948年に発表された戦後型スポーツカーのXK120は、その流麗なスタイリングと高性能、また同程度の性能を持つアストンマーティンやベントレーと比べて圧倒的に安価だったことから大人気となり、高級車ブランドとしてのイメージを決定付ける重要なモデルとなった。
XK120はその多くが、第二次世界大戦後の好景気下にあったアメリカ合衆国向けに輸出され、多大な商業的成功を収め、続いて発展型のXK140やXK150も送り出され、戦災の復興下にあったイギリスの外貨獲得に大いに貢献した。
また、1950年代にはレーシングカー開発に乗り出し、自動車史上初めての4輪ディスクブレーキを備えたCタイプとDタイプを耐久レースに投入した。
特にル・マン24時間レースではイタリアのフェラーリやマセラティ、ドイツのメルセデス・ベンツやポルシェなどのライバルを圧倒し3連覇を果たすなど、モータースポーツでの活躍を重ね、名声を確固たるものにしていった。なおこれらのモータースポーツでの活躍は2000年代まで続くことになる。
さらにXKシリーズや大型サルーンに止まらず、1950年代後期以降はスモールサルーンのマーク2、全輪独立懸架のスポーツカー・Eタイプなどの高性能車を市場に送り出し、世界最大の自動車市場であるアメリカ合衆国での販路を拡大する。ジャガーはアメリカ市場で成功し、イギリスの外貨獲得に大きく貢献することになる。1956年、ウィリアム・ライオンズはイギリス王室より「ナイト」の称号を授かる。
1960年に、ジャガーは高級車メーカーのデイムラーを340万ポンドで買収する。当時のジャガーはマーク2の販売好調により工場を拡大する必要に迫られており、ジャガーは同じコヴェントリーのデイムラーを傘下に収めることでそれを実現した。
ブランド自体は残されたものの、その後のデイムラーの主な車種はジャガーのバッジエンジニアリングモデルで占められるようになるが、フロントグリル上端に細かい波型模様が付けられた「フルーテッド・グリル」は、デイムラーの特徴として残ることになる。
その後ジャガーは順調な経営を続けたものの、1966年7月に、イギリス最大の民族資本系自動車会社グループである「ブリティッシュ・モーター・コーポレーション」(BMC)との合併を行い「ブリティッシュ・モーター・ホールディングス」(BMH)を結成した。この突然の決定は、企業体制をさらに強固にするためのライオンズ自身による意思であるとされている。
しかし、1968年にはBMH主要モデルの販売不振から、BMH自体が経営不振に陥ることになる。事態を重く見たイギリス政府は、もう一つの民族資本系グループである「レイランド・モーター・カンパニー」との統合を決め「ブリティッシュ・レイランド・モーター・コーポレーション(BLMC)」として参集させた。
そのような背景のなか、ジャガーは同年1968年にスモールサルーンの後継モデルとなるXJを投入した。しかし、本来は高級車メーカーであるはずのジャガーは、作業員のレベル自体がBLMCの平均に下げられることになり、またこの時代のイギリスで多発した労働運動の激化により著しい品質低下に陥り、販売台数も大幅に減少した。また古参社員の引退が相次ぎ、ライオンズも1972年に経営の座から退いた。
加えてオイルショックの影響も受け、世界的に自動車の販売自体が激減する。BMLCは深刻な打撃を受け、5千万ポンドもの借入金を抱える有様となり、遂に1975年8月に国営化されブリティッシュ・レイランド(BL)となる。
同年にEタイプの後継としてXJSを投入したものの、品質の低さやデザインが市場に受けられず、さらにコンバーチブルモデルが無いこともあり販売は低迷を続けた。この頃のジャガーは「冬の時代」を歩み続けることになる。
当時のイギリスで頻発していた労働争議の影響もあり、1979年にはジャガーの生産台数は5年前の半分以下(14,000台)に落ち込んでいた。この年、ジャガーは新たな経営トップとして社外からを招く。
イーガンは時代遅れは乱れた生産体制や経営の改革に着手し、作業員の意欲向上、ジャガー本体のみならず取引先メーカーから納入されたパーツ類への厳格な品質チェックの実施、経営側と社員側が品質向上のため直接話し合うという日本企業並みの品質管理(QC運動)、販売手法の刷新と顧客からのフィードバック反映、そして経営のリストラを推し進めた。この改革はすぐに結果となって表れ、ジャガーの品質は改善し生産台数も急回復した。
そしてその後の1984年、保守党のマーガレット・サッチャー首相による民営化政策によって、ジャガーは再び民営化された。抜本的な体質改善に成功したジャガーは、15年以上にわたりマイナーチェンジを繰り返しつつ作られていたものの、技術面や品質面だけでなく、生産効率にも劣るXJ6の世代交代を図り、1986年には完全な新設計となるXJ(XJ40)をデビューさせる。
また、1975年にEタイプの後継として投入されていたXJSも、XJ40のエンジンや電装系、内装デザインを取り入れた大幅なマイナーチェンジ行うことで技術面や信頼性の向上に努めた上に、1980年代後半にはコンバーチブルモデルを追加したことからアメリカ市場を中心に人気車種となった。
なおウィリアム・ライオンズは1985年に86歳で死去し、XJ40はライオンズが承認した最後のモデルとなった。ジャガーの立て直しに貢献したイーガンは、1986年に創業者のライオンズ同様に王室より「ナイト」の称号を授かる。
また、1985年からは世界耐久選手権(WEC)に参戦し、1986年にはXJR-8でシリーズチャンピオンを獲得、さらにXJR-9LMで31年ぶりに1988年のル・マン24時間レースに優勝し、かつての名声を取り戻すことに成功した。
その後1989年に、ブランドイメージを高く評価したフォードグループが、25億ドルでジャガーを買収し、フォードの傘下に入ることとなる。
その後ジャガーは、同時期に買収されたイギリスの高級車メーカーのランドローバーやアストンマーティンなどとともに、フォードグループの高級車部門「」の一翼を担うこととなった。フォード傘下に入った後には、ランドローバーやアストンマーティンだけでなく、リンカーンやフォードとのコンポーネントやエンジン、パーツの共用を進めた。
1990年代には、かつての人気車種の名前を使ったミドルクラス・サルーンのSタイプや、初の小型車であるXタイプを市場に投入するなど、かつてない勢いでモデルレンジを拡大した。また、2000年からは「ジャガー・レーシング」の名でフォーミュラ1に参戦した。
2000年代後半、フォードグループは深刻な経営不振により、PAGに属するブランドを売却せざるを得ない状況に陥った。2008年3月26日、ジャガーはランドローバーと共にインドのタタ・モーターズに約23億ドルで売却された。
ジャガーは、フォードからタタ・モーターズに売却された後も、フォードからダウンサイジングターボエンジンである「エコブースト」の供給を受けていたが、2014年より、完全自社設計・開発・製造の新世代モジュラーエンジン「INGENIUM(インジニウム)」に順次切り替えた。
1970年代から2000年代にかけイギリスの自動車メーカーの多くが市場淘汰され、ジャガーと同じく国営企業であるブリティッシュ・レイランドの一部門となっていた「オースティン」、「モーリス」、「ローバー」、「トライアンフ」、「MG」等のイギリスの自動車ブランドの多くが消滅、もしくはブランドが売却されたが、ジャガーは、インド資本となったものの、高級車・スポーツカーブランドとして存続している例外的存在である。
エリザベス2世女王、エディンバラ公、チャールズ皇太子からワラント(御用達指定)を下賜されている。またXJ(1968年 - 現在)がトニー・ブレア以降の首相公用車や、大使や高等弁務官の専用車に選ばれている。
ここではジャガー傘下に入ってからのモデルを挙げる。
ジャガーは1950年代から、スポーツカーレース、特にル・マン24時間レースなどの耐久レースで活躍した。1951年と1953年にCタイプで、1955年から1957年までDタイプで総合優勝した。
その後モータースポーツから遠ざかっていたが、1980年代中盤にトム・ウォーキンショー率いるTWR チームがジャガーのV12エンジンを使った耐久スポーツカー(プロトタイプレーシングカー)レース用の車を設計した。TWRチームは1988年のル・マン24時間レースと1990年のル・マン24時間レースで総合優勝した。
「新東洋企業」(1970年代)、「オースチン・ローバー・ジャパン」(1980年代前半)など、いくつかのインポーターの変遷を経て、1986年に西武百貨店との共同出資で日本法人「ジャガージャパン株式会社」が設立された。その後1999年、西武百貨店が資本を撤退し、ジャガー・カーズ単独でジャガージャパンが運営されていたが、フォードPAGグループの発足に伴い、日本国内のPAGブランドの統括法人「ピー・エー・ジーインポート」と合併することとなった。
2005年、同じPAGブランドのランドローバーと営業部門を統合し「ジャガー&ランドローバージャパン」として運営を開始。独立店舗の他にも両ブランドの複合ショールームを展開する。
2008年3月26日、ジャガーとランドローバーがタタに約23億ドルで買収されたことに伴い、フォードPAGグループから離脱することとなり、同年10月より日本でのビジネスは「ジャガー・ランドローバー・ジャパン株式会社」が統括することとなった。
2013年から全国販売網がランドローバーとの併売店に一本化され、これに伴い規定の店舗面積を確保できなかった店舗は契約打ち切りとなった。
2014年9月17日、ジャガー日本法人はテニスの全米オープンで準優勝を果たした錦織圭をV8 F タイプのブランドアンバサダー(大使)に任命したと発表。同年11月20日には錦織選手をイメージした『KEI NISHIKORI EDITION』の発売記念イベントを開催した。
2017年、読売ジャイアンツのオフィシャルスポンサーとなり、ランドローバーと共に、監督・コーチ・選手・職員の足としてオフィシャルカー70台を貸与する。
日本では通常「ジャガー」とカタカナ表記されるが、JAGUARのイギリス英語での発音()を音写する場合「ジャギュア」と表記するのが最も近い。アメリカ英語では「ジャグヮ」()と発音する。伊丹十三が1965年に出版した『ヨーロッパ退屈日記』には「ジャギュア」というのだよという文章があり、知る人ぞ知る読み方となった。
オースチンローバージャパン(ARJ、後のローバージャパン)が輸入代理店だった1985年頃、「ジャグヮー」の表記を広告で使用したことがあったが、一般には定着せず、ジャガージャパンに輸入代理権が移ると「ジャガー」の表記に戻されている。なお自動車評論家の徳大寺有恒は「ジャグァ」という表記を使用していた。
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ジャガー・XJ
ジャガー・XJは、イギリスの自動車メーカー、ジャガーから販売されているFセグメントの高級セダン。
1960年代中盤、ジャガーのサルーンは、デイムラーを除けば大型高級サルーンであるマークXおよび小型サルーンであるSタイプというラインナップであった。1960年代後半には、マークXは420Gへとモデルチェンジ、またSタイプをベースに420GとSタイプの間を埋めるべく発表された420という、3モデルのラインナップとなったが、420Gも420もすでに旧態依然となっており、ジャガーは新たなサルーンの開発に迫られていた。
XJシリーズは新たなジャガーのアイコンとなるべく開発され、1968年に登場。その後1986年、2003年とモデルチェンジを続けながら進化を遂げ、2009年7月9日に最新型である4代目が発表された。なお販売は2010年から(イギリス市場)となると発表されている。
スタイリングはウィリアム・ライオンズが手がけ、イメージは従前の420Gに似ている。内装は従前通りウォールナットと本革で仕立てられた。ただし安全性向上のためダッシュボード上端には厚いパッドが内蔵され、センタースイッチはトグル式からピアノキー型に置換されている。
1968年、Sタイプ、420、240/340の後継車との位置づけで発売された。
サイズは全長4,810mm、全幅1,770mm、全高1,340mm、ホイールベース2,760mmとやや拡大された。車両重量は1,539kgとSタイプや420との比較では軽量化され、運動性能も非常に高かった。このモデルの登場によりジャガーのサルーンのラインナップは1970年まで生産が続けられた420Gを除き1本にまとめられることになった。
直列6気筒DOHCのXKエンジンで2.8リットルと4.2リットルの2種類が設定された。2.8リットルは内径φ83.0mm×行程86mmで2,792 cc、180hp/6,000rpm。4.2リットルは420やEタイプから踏襲された内径φ92.1mm×行程106mmで4,237 cc、245hp/5,500rpm。
トランスミッションは4速MTまたは3速ATの組み合わせ。
サスペンションは前がダブルウィッシュボーン+コイル、後ろがEタイプから踏襲したロアーIアームとアッパーアームを兼ねるドライブシャフト、トレーリングリンクで位置決めして左右2個ずつのコイル/ダンパーで吊る形式を採用した。ただし後ろサスペンションシステムをサブフレームに取り付け、ボディとサブフレームの間にラバーブッシュを介して雑音や振動を遮断している。
タイヤは、当時としては極端に太くロープロファイルのラジアルをダンロップと共同開発して装着した。
ロールス・ロイスを凌ぐ程の静粛性快適性と、サルーンとは思えない運動性を高度に両立して高い評価を受けた。
1972年7月に登場した、EタイプシリーズIIIに搭載されていた内径φ90 mm×行程70 mmのV型12気筒5,344 ccエンジンを253hpとややデチューンして搭載したモデル。トランスミッションは3速ATのみ。重量は1,821 kgとなった。最高速度は223km/h。同時にバッジエンジニアリング版であるデイムラー・ダブルシックスも登場した。
1972年9月に登場した、XJ6シリーズIのホイールベースを2,870 mmに拡大したモデルで、420Gの後継車に当たる。ホイールベース拡大分は後席の居住性向上に充てられた。エンジンは4,237 ccのXKエンジンのみ。MT仕様はオーバードライブ付きが標準となった。バッジエンジニアリング版であるデイムラー・ソブリンも用意された。
1972年9月に登場した、XJ12シリーズIのホイールベースを2,870 mmに拡大したモデルで、ホイールベース拡大分は後席の居住性向上に充てられた。バッジエンジニアリング版であるデイムラー・ダブルシックスも用意された。
1973年にアメリカ合衆国の安全基準を満たすためにフロントバンパー位置などを変更してシリーズIIとなり、またインストルメントパネルのスイッチが大幅に整理された。これに伴い従前モデルはシリーズIと呼ばれるようになった。日本にはアメリカ合衆国輸出仕様をベースとしたモデルを輸入したため、バンパーはゴム製で、前照灯が4灯同径であった。
本国仕様の4,237 ccエンジンは245 hp/5,500 rpmであったが日本仕様は圧縮比8.1、ボッシュ製Lジェトロニックを装備して175PS/4,750rpmとなった。
1975年に標準ホイールベース版が製造中止され、従前のXJ6LがXJ6という呼称になった。
1975年5月2,792 ccエンジンが廃止され、新たに内径φ83 mm×行程106 mmで3,441 cc、163 hpモデルが発売された。
1975年にルーカス製燃料噴射装置が装備されるとともに標準ホイールベース版が製造中止され、従前のXJ12LがXJ12という呼称になった。
1977年にATがGM製に変更された。
アメリカ合衆国市場を考慮して2,760 mmのホイールベースに2ドアクーペのボディを載せたモデルが発売された。エンジンは4,237 ccのみ。XJ-S発売に伴い1978年に製造中止された。
アメリカ合衆国市場を考慮して2,760 mmのホイールベースに2ドアクーペのボディを載せたモデルが発売された。XJ-S発売に伴い1978年に製造中止された。
1979年に大規模なマイナーチェンジを受けシリーズIIIとなった。外装はピニンファリーナの手によると言われている。欠点であったリアシートの頭の上の空間を大きく取るために屋根の後端をやや嵩上げし、前後ドア窓の大きさを揃えるなどデザインバランスを整えた。前後バンパー、フロントグリルの意匠が変更された。安全性向上のためドアハンドルが埋め込み式になった。シリーズIIまで1960年代の面影を色濃く残していたリアコンビネーションランプが大型化された。マニュアルトランスミッションは初めて5速MTが採用されている。
ジョン・イーガンの会長就任後の1980年代前半急速に品質が上がった。
エンジンラインナップはシリーズIIと同じく直列6気筒DOHCの3.4リットル、直列6気筒DOHCの4.2リットル。4.2リットル版はヨーロッパ仕様で205hp。
1985年最後のマイナーチェンジ。3.4リットル版の内装が手直しを受けた。
エンジンラインナップはシリーズIIと同じくV型12気筒SOHCエンジン5.3リットル。燃料噴射を装備して細部の改良により289 hpに向上していた。
1981年にマイナーチェンジを受け、V型12気筒エンジンがミハエル・マイ発案の高効率シリンダーヘッドを装着したファイアーボールエンジンに変更され、295hp/5,500rpmに出力向上し、このエンジンを積んだ車両は車名の最後にH.E.の文字が追加された。
1983年マイナーチェンジ。クルーズコントロールなどの装備が充実し、ホイールも新たに「蜂の巣」タイプのアロイホイールが加えられた。なお、この年から本国で「Vanden Plas」のグレード名が使用できなくなったため、デイムラー版の名称が「ダブルシックス」のみとなった。
輸出モデルは「デイムラー」ではなく「ジャガー・ソブリン」として販売され、ドアノブやグリルのデザインも異なる。なお、次モデルのXJ40系はエンジンベイが狭く設計されV型12気筒エンジンが搭載できなかったため、しばらくXJ12のみがシリーズIIIのままで生産続行された。
ビッグマイナーチェンジを続け進化を続けたものの、1968年より作り続けられてきたために「メルセデス・ベンツ・Sクラス」や「BMW・7シリーズ」などの「Fセグメント」のライバルに比べて技術的に旧態依然となってきたことに対処すべく、ジョン・イーガンの元で1980年代初頭から開発が開始されていた、社内で「XJ40」と呼ばれる新型「XJ」は1986年9月に発表され、10月にはヨーロッパ市場で販売が開始された。
なお「XJ40」は、発表前年の1985年2月に逝去した創業者のウィリアム・ライオンズが、デザインやメカニズムを承認した最後のジャガーとなった。
エンジンは、長年使用され旧態依然となった「XK」から、燃費とパワーの向上とともに、工作精度の向上を狙って新たに設計された、新世代の直列6気筒エンジンである「AJ6」に変更された。なお「AJ6」は、「XJS」シリーズや、ジャガーと同時期にフォード・モーター傘下となったアストンマーティンの「DB7」にも使用された。
ボディデザインはライオンズの監修のもとで完全に一新され、空気抵抗が大幅に改良された。さらにボディパーツ数が25%も減らされることで、工作精度の向上やかねてから問題視されていた錆の低減、そして軽量化を実現した。なお、ソブリン系にXJシリーズ初の角形ハロゲンヘッドライトが採用され、丸形もソブリン系にオプションで用意されるとになった。なお当初のデザインでは丸形ヘッドライトのみであった。
室内空間が旧来に比べて拡大され居住性が格段に上がっただけでなく、温度調節式の自動エアコンやCDチェンジャー付きのステレオなどが用意されたものの、コノリーレザーや高品質なウールのシート、ウッドが贅沢に奢られたインテリアパネルなどの、旧来のジャガーが持っていた世界観と雰囲気はそのまま引き継がれた。
なお「XJ40」の開発が始まった1980年代前半のジャガーは、国有企業の「ブリティッシュ・レイランド」の傘下にあり、ジャガー設計部門は「ローバーのV型8気筒エンジンを使うように」との通達を拒否するためエンジンベイを狭く設計してしまったので、当初エンジンのラインナップは直列6気筒のみでV型12気筒は用意されず、このためXJ12はシリーズIIIボディのまましばらく製造が続行されることになってしまった。
エンジンは2種類が用意された。3.6Lモデルは内径φ91 mm×行程92 mm、DOHC、圧縮比9.6、3,590ccで221hp/5,000rpm。2.9Lモデルは内径φ91 mm×行程74.8 mm、SOHC、圧縮比12.6、2,919cc、165hp/5,000rpm。なお、セッティングが異なる日本仕様の最高出力は圧縮比8.1、180PS/4,750rpmm、トルクは30.5kgm/3,750rpmである。
トランスミッションは4速ATまたは5速MT。ATは「Jゲート」と呼ばれるジャガー独自のセレクターのデザインが採用された。なお日本ではATのみの設定であった。タイヤは「XJR」を除く全モデルでエイヴォン及びミシュランが製造した専用のランフラット・タイヤが用意された。「3.6ソブリン」と「デイムラー・3.6」にはエアーサスペンションがオプションで用意された。
丸形ヘッドランプに電動シート、ウォールナットのインテリアが用意されたベーシックモデルの「2.9」と「3.6」、角形ヘッドランプにアルミホイール、電動コノリーレザーシートや後部座席用エアコンが標準装備され、窓周りにクロームが奢られた「2.9ソブリン」と「3.6ソブリン」、サスペンションが強化され、専用デザインのアルミホイールが奢られた「3.6スポーツ」が用意された。
さらに3.6リットルエンジン搭載モデルには、デイムラー伝統のフルーテッド(溝付き)グリルやクロームメッキのサイドモール、上質なコノリーレザーシート、ピクニックテーブルなどが備わり、後席が2人乗りとなった「デイムラー・3.6」が用意された。
なおアメリカ市場向けのモデルは、全グレードが角形ヘッドランプのみとされ、さらにマーケティング上の理由から、ウェストラインに装着するクロームメッキとゴムのサイドモールがオプションで用意された。また同国では、商標登録上の問題(「ダイムラー・ベンツ」との混乱を避けるため)により「デイムラー」のブランドが使用できないため、「バンデン・プラ」ブランドで販売された。
1988年5月には、「トム・ウォーキンショー・レーシング」(TWR)とのジョイントベンチャーである「ジャガー・スポーツ」の手によってエンジンをチューニングし足回りを強化した上に、控えめなエアロパーツや空力を意識した特製のアルミホイールを装備した「XJR」が追加された。なお「XJR」には5速MTのみが用意され、またスポーティーさを演出することを目的に、丸形のヘッドランプのみが用意された。
1989年末より販売が開始された1990年モデルにおいて、「XJ40」がデビューして以来初の大幅なマイナーチェンジを行なわれた。
内外装の変更は最小限にとどめられたものの、発売翌年の1987年に、ジャガーがアメリカ合衆国のフォード・モーターに買収されたこともあり、さらなる信頼性と品質の向上と工作精度の向上に重点が置かれた。
ノーマルとスポーツの切り替え機能が用意された新型の電子制御トランスミッションや、集中ドアロックや電動シート、エアコンなどの電装系を中心に大掛かりな変更を受け信頼性が著しく向上した。
また3,590ccエンジンは、内径φ91 mmのまま行程を102mmに延伸して3,980cc、225PS/4,750rpm、または235hp/4,750rpmに強化された。トルクは38.4kgm/3,650rpmとなった。
1991年モデルより、かねてからパワー不足が訴えられていた2,919ccエンジンが、DOHC4バルブ化とともに内径φ91 mmのまま行程を83mmに延伸して3,239cc、200hp/5,250rpmまたは200PS/5,200rpm、30.2kgm/3,900rpmに強化された。
なお同年には、他のタイヤとの互換性が無く、しかも高価であることからかねてから不評であった専用のランフラットタイヤが廃止され、併せてベースモデルのホイールデザインが新しくなった。またベースモデルのシートがウールと本革のコンビに変更された。
1993年より、アメリカ以外の市場でもエアバッグが全グレードに標準装備されるとともに、新しいデザインのアルミホイールが全モデルに装着された。
1993年3月には、フロント部分の多くを設計し直す形でエンジンコンパートメントを大改修して、従来の5.3Lから6.0Lに拡大されたV型12気筒エンジンを搭載したXJ40ボディの「XJ12」が、サロン・アンテルナショナル・ド・ロトで発表された。このエンジンは内径φ90 mm×行程78.5 mmで5,993 cc、310PS/5,350rpm、47.2kgm/3,750rpmである。コードネームはXJ81。
さらに同年秋には、ロングホイールベース版の「デイムラー・ダブルシックス」も追加され、日本では「デイムラー・マジェスティック」として販売され、シリーズIIIボディのダブルシックスが製造中止となった。1994年7月に生産が停止され、ビッグマイナーチェンジ版の「X300」に引き継がれた。
1994年にボディパネルの大幅な変更を伴う大規模なマイナーチェンジを受けて「X300」系になった。「XJ40」で不評であった角型ヘッドライトが廃止され、全て丸型ヘッドライトとなった。
直列6気筒エンジンは、排気量こそ変わらないものの「AJ6」から「AJ16」エンジンに変更を受け、ジャガー史上初となる過給エンジンも登場した。3.2リットルモデルは内径φ91 mm×行程83 mmで3,239 cc、215 PS/5,100 rpm、32.1 kgm/4,500 rpm。
4.0リットルモデルと「ソブリン」は内径φ91 mm×行程102 mmで3,980 cc、245 PS/4,800 rpm、39.9 kgm/4,000 rpm。「XJR4.0スーパーチャージド」は内径φ91 mm×行程102 mmで3,980 cc、イートン製スーパーチャージャーが付いて325 PS/5,000 rpm、52.2 kgm/3,050 rpm。
また更なる信頼性向上のために電装系が日本電装(現デンソー)製になったほか、アウターパネルのプレスマシンが日本製となったため、ボディパネルの品質も向上した。グレードも見直され、日本ではデイムラーを含め6本、本国では9本のラインナップが用意された。セレクトはコノリーレザーシートなど装備を充実させた日本専用モデルである。
1995年には、初期型には付いていなかったグローブボックスが設置される小変更が行われた。また、1996年にマイナーチェンジを行った。
1998年に「X308」系にマイナーチェンジを行った。伝統の直列6気筒/V型12気筒を捨ててV型8気筒のAJ-V8エンジンとなった。なおこれにより「XJ6」の名称は廃止された。
排気量は3.2リットルおよび4.0リットル。トランスミッションは5速ATに変更された。外装/内装ともに変更を受けより洗練されたスタイルとなるも、かなりのコストダウンが図られた。
2001年マイナーチェンジ。トランスミッション形式が若干変更になる。その他、ウインドウサッシュが「XJR」および後述の「3.2スポーツ」を除くすべてのモデルにおいてメッキになったり、足回りのセッティングが見直されたりと細かい変更を受けた。
またこの年より、日本市場において新たなグレードとして、足回りを強化し外観を「XJR」に近いイメージにした「3.2スポーツ」が追加された。
その後、ジャガーの創始者のウィリアム・ライオンズの生誕100周年を記念した「XJR100」が世界限定500台で発売された。2003年を持って新しい「X350」系に引き継がれた。
2003年にフルモデルチェンジしてX350系となった。オールアルミニウムボディの採用により、従来のモデルよりも軽量化を実現。トランクもようやく実用的な深さとなった。エンジンは3.6および4.2リットルのV型8気筒および過給器付きの4.2リットルV型8気筒、トランスミッションは6速ATが用意された。デイムラーブランドはいったん消滅した。
2004年Sタイプに搭載されていたV型6気筒3.0リットルエンジンを搭載したXJ6がラインナップに加わり、しばらく途絶えていたXJ6の名前が復活することとなる。また、XJ8にロングホイールベース版が追加される。
2005年デイムラーがスーパー8の名で復活。「ポートフォリオ」という限定車が発売される。内外装ともに特別装備となり、日本国内では50台(右ハンドル40台、左ハンドル10台)限定で販売された。
2006年3.6リットルV型8気筒エンジンがラインナップより落とされる。またソブリンにはスーパーチャージドエンジンが搭載された。
2007年コードネームX358にマイナーチェンジ。主にエクステリアに変更を受けた。フロント及びリアのバンパー形状が見直され、スポーティな外観となった。また、フロントフェンダー側面にはサイドエアベントが設けられた。
2010年6月18日 - 日本国内での販売が中止された。
X350系のバリエーションは以下のようであった。
2009年7月9日に、「X351」系にフルモデルチェンジし、同年の11月20日から11月23日に、名古屋モーターショーにて日本で初披露された。
5.0リットルのV型8気筒およびスーパーチャージャー付きの5.0リットルV型8気筒、いずれも直噴エンジンである。スーパーチャージャー付きのエンジンはグレードによって2種類のチューニングがある。また2種類のV型6気筒3.0リットルのターボディーゼルエンジンが用意される。
2010年5月15日に日本での発売を予定していたが、アイスランドでの火山噴火の影響で6月19日に発売を延期した。その後2013年より、直列4気筒2.0リットル直噴ターボエンジンが追加された。
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車種 | エンジン | タイヤ | 燃費 | 中古車 | 評価•レビュー | ボディサイズ | |
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XJ
XJR
2013年10月から 2014年03月 16,142,857円 セダン |
エンジン:
V型8気筒DOHC 排気量: 4999cc 型式: CBA-J12MA 馬力: 550ps トルク: 680(69.3)/3500 ミッション: 8AT |
前輪:
265/35ZR20 後輪: 295/30ZR20 駆動: FR 最小回転: 5.8m タイヤサイズ |
燃費(JC08):
6.8(km/L) 燃費(10•15): - 燃料: ハイオク 実燃費: 7.4から 7.4 |
円から
円 台 買取価格相場 車を売る |
外観:
5点 内観: 4.5点 スペック: 4.5点 エンジン: 5点 乗り心地: 4.5点 燃費: 2.5点 価格: 3点 |
高さ:
1455 車幅: 1905 全長: 5135 定員: 5人 |
販売期間:2013年10月から2014年03月
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